*このコーナーでは、『日本の論点』スタッフライターや各分野のエキスパートが耳寄り情報、マル秘情報をもとに、政治・経済・外交・社会などの分野ごとに近未来を予測します。
市場の大方の予想どおり、日銀は8月22〜23日の金融政策決定会合で、利上げの見送りを決めた。7月の同会合終了時点では、「8月に利上げ」が市場のコンセンサスだったが、この1カ月で市場の様相は一変。米国のサブプライムローンの焦げつきに端を発する信用不安は、またたく間に欧州やアジア、日本に飛び火し、世界同時株安の局面を生み出した。これに対する緊急措置として、米欧の中央銀行は金融機関の資金流動性を確保するために相次いで莫大な資金供給を行い、さらに米FRBは公定歩合の引き下げに踏み切った(日銀も呼応して緊急的に資金供給したと報じられたが、通常の供給オペだった可能性が高い。実際、翌日には供給資金の全額を吸収している)。こういう状況で、日銀だけが金融引き締めに走ることは困難だったのだろう。
日本の場合、サブフライムローンの直接の影響は小さかったはずだが、株価の下落幅は、欧米よりむしろ大きかった。いわゆる円キャリートレードの逆回転によって急速な円高がすすみ、基幹である輸出産業の業績悪化懸念が広がったためだ。多くの企業が採算分岐点として想定しているといわれる1ドル=115円より円高方向に振れてから、大きく売り込まれた。この一連の流れを考えれば、ふたたび円安へ向かうことが株価回復のカギであり、企業業績とともに個人消費も上向かせる、ということになる。これが、いわゆる「心地よい円安」と呼ばれる状態だ。だとすれば、円高を招きかねない利上げなどとんでもない、と市場が考えて当然かもしれない。
しかし、本当にそうか。たしかに円キャリートレードを行う外国人投資家にとって、円は安価で低利であるほど都合がよい。この2月に開かれたG7財務省・中央銀行総裁会議において、円安懸念が声明文に盛り込まれなかったのはそうした理由からだといわれている。現在の信用不安が払拭されれば、彼らはふたたび積極的に円売り・ドル買いを仕掛けるだろう。またFX取引で円売りのポジションを持つ国内投資家にとっても、外貨との金利差は拡大したほうが望ましいし、円安にすすんだほうが儲けは膨らむ。いい換えれば彼らは現在の円高水準を、次の絶好の円売りのチャンスと捉えているかもしれない。これらのエネルギーが溜まれば、ふたたび円安方向に振れる可能性は十分にある。
だが中長期的に見れば、円安は日本にとってけっして望ましいとはいえない。まず当然のことながら、円安は輸入品の価格を押し上げる。とりわけ大部分を輸入に頼らざるを得ない食糧やエネルギーについて、価格上昇が国民生活に与えるインパクトは甚大だ。あるいはそれ以前の問題として、円安ゆえに他国との争奪戦で不利になり、必要量の確保がままならなくなる恐れがある。それに国力という観点からも、円安はマイナスに働く。1993年時点で、OECD30カ国中第1位だった日本の国民1人あたりGDP(ドルベース)は、05年時点で14位まで低下。06年はさらに下位に落ちている可能性が高い。日本の成長率自体が低かったせいもあるが、円安によって相対的に引き下げられた部分もまた大きいからだ。
日本はただでさえ、どの先進国よりも少子高齢化が早く進展し、将来の成長力鈍化が懸念されている。このうえ円安がすすめば、世界におけるプレゼンスは低下し、国民は貧しくなるだけである。そういう事態を避けるには、金利を適宜引き上げ、他国通貨との金利差を縮小させ、円キャリートレードのメリットを逓減させる必要がある。もちろん、為替だけが利上げの判断材料になるわけではないが、このままサブプライムローン問題が収束に向かい、ふたたび円安傾向が顕著になれば、日銀は9月にも利上げを検討する可能性がある。そして私たちは、そろそろ「円安は心地よい」という認識を改める必要がありそうだ。
(島田栄昭 しまだ・よしあき=『日本の論点』スタッフライター)
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