*このコーナーでは、『日本の論点』スタッフライターや各分野のエキスパートが耳寄り情報、マル秘情報をもとに、政治・経済・外交・社会などの分野ごとに近未来を予測します。
9月12日、唐突な安倍首相の退陣表明をきっかけに始まった政変劇だが、自民党総裁選の結末は、23日の投・開票日を待たずに見えてきた。一騎打ちの形にはなったが、幕が開いたとたんに芝居が終わったようなもので、党内8派閥の支持を取り付けた福田康夫元官房長官が、麻生太郎幹事長に圧倒的な差をつけて勝利するのは確定的だ。
安倍首相の辞任は、「国際公約であるテロとの戦いを継続(インド洋での海自による給油活動の継続を指す)させるうえでどうすべきかを考え、自らけじめをつけることで、局面を転換しようと思う」(記者会見)というのが理由だったが、政権を途中で放り出したとの非難を浴びた。しかし、本人は詳しく語らなかったが、(1)小沢一郎民主党代表と党首会談し、自身の退陣と引き換えにテロ対策特別措置法の延長に協力を求めたが拒否されたのと、(2)8月の連日の外国訪問でひどい食あたりを起こし、体重が激減、おかゆと点滴で体調を維持してきたが、健康状態が悪化、ドクターストップがかかっていた――という事情があったという。
昨年9月26日、安倍氏は戦後生まれでは初めての首相(第90代)に就任した。「美しい国づくり」と「戦後レジームからの脱却」を掲げ、1年足らずの間に、60年ぶりの教育基本法の改正や、憲法改正に道を開く国民投票法の制定、防衛庁の防衛省昇格など、戦後の保守政治が積み残した課題を成し遂げた。しかし、政治とカネや年金の不祥事に直面し、十分なリーダーシップを発揮することができなかった。それでも、米国のケビン・ドーク教授(ジョージタウン大学東アジア言語文化学部長)が「日本の国民主義と呼べる新しい戦後ナショナリズムを主唱して、国民主権の重要性を強調し、対外的には国際関与を深める道を選んだ。今後の政治指導者の模範例となりうる」と高く評価(産経新聞9月16日付)したように、存在感を残したことは間違いない。
ポスト安倍を選ぶ自民党総裁選は、党大会に代わる両院議員総会で行われることになり、14日に告示された。当否を決めるのは、国会議員387票(衆院304人、参院83人)と都道府県連代表141票(各県あたり3人)の合計528票だ。
安倍退陣後、ただちに党内の各派閥が動き出したが、当初、いち早く出馬の意向をみせた麻生氏が、「AAライン」といわれた安倍首相との信頼関係からみて後継に有力視された。しかし、一夜で情勢は変わった。小泉・安倍ラインと引き続けてきた構造改革路線の転換を目指す派閥の有力者らから推されるかたちで福田氏が急浮上。一時は名乗りを上げた額賀福志郎財務相や意欲をみせた谷垣禎一元財務相も“勝ち馬”に乗る格好で福田支持に回り、結果として麻生包囲網が出来上がった。福田票は告示の時点ですでに過半数の265票を大きく上回った。いっぽう、サプライズがささやかれた小泉氏の再出馬は、あっさり本人が打ち消した。
かつての自民党の感覚からすれば、同じ派閥である「清和会」(町村派)から森、小泉、安倍、福田と4人も首相が続いて誕生するなどということはありえない話だ。旧来型の派閥政治が「ぶっ壊れた」(小泉氏)証左だろう。では、福田氏が首相になるとして、政治はどう変わるのか。「自立と共生」、「希望と安心」を掲げた立候補の際の会見や選挙戦での演説をみるかぎり、内政、外交を通じ、トップダウンでなく、対話を重視する政治スタイルになるだろう。焦点のテロ特措法では、「民主党との協調」を主張、拉致問題を含む対北朝鮮政策では「交渉重視」を打ち出し、圧力路線はとりそうもない。福田氏が官房長官のとき、拉致被害者をいったん北朝鮮に帰すべきだと、安倍氏と対立したのが思い出される。また、近く予想される解散・総選挙については、民主党との「話し合い」を強調したのが注目された。
自民党が1955年11月の結党以来、一時期を除いて政権政党であり続けてきたのは、派閥が擬似政党のような役割を果たし、振り子のごとくバランスをとってきたことがあげられる。そう言えば、安倍氏の敬愛する祖父、岸信介首相が悲願の日米安保条約改定を成し遂げて辞任した後、「寛容と忍耐」を掲げた池田勇人首相が経済重視の政治運営で国民の信頼を取り戻した。安倍氏から福田氏の政権交代も似たようなものになるのか。それにしても、この参院選では、国家像を鮮明にさせたのち、目標に突き進むという安倍流の政治スタイルが完全に否定されたのだろうか。だとすると、「自立する日本」がまた遠ざかっていくように思えてならない。
(松本泰高=まつもと・たいこう、政治ジャーナリスト、『日本の論点』スタッフライター)
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