*このコーナーでは、『日本の論点』スタッフライターや各分野のエキスパートが耳寄り情報、マル秘情報をもとに、政治・経済・外交・社会などの分野ごとに近未来を予測します。
西松建設の政治資金問題をめぐって、いわゆる「迂回献金」のあり方が話題となっている。政治討論番組などでは、米国にも“PAC:Political Action Committee”(政治活動委員会)という日本の政治団体のような献金を受け入れる制度があると指摘する政治家や有識者も多く見られた。いわく、日本の「政治団体」は、米国の“PAC”と同様、禁止されている企業から政治家への献金を可能とするために設けられた「抜け道」であるといった指摘である。
米国の「政治資金制度」を専門とする筆者の立場からいわせていただくと、日米それぞれの「政治とカネ」を巡る制度に漠然とした認識で類似性を語ると、誤解を生みかねない。そこで以下に、米国の「政治とカネ」を巡る制度についてポイントを解説し、日本では「迂回献金」が起きるのだ、という構造を浮き彫りにしてみたい。
まず日米では社会・政治制度そのものが異なる。例えば、米国には連邦法と州法、大統領や連邦議会議員など連邦レベルの公職者を選出する選挙を規制する法律と、州知事や州議会議員など州や地方レベルの公職者を選出する選挙を規制する法律の二つがある。また「政治活動」と「選挙活動」は区別され、政治家の活動資金として献金で賄うことが出来るのは「選挙活動」だけであり、献金の原資は、全て個人による献金でなければならない、とされている。さらに、政党は連邦レベルの政党組織と州・地方レベルの政党組織というように、それぞれ独立している。そして政党組織にせよPACにせよ、「支部」というのは、本体と連結した資金管理が行われ、献金限度額の制約も、本体と支部と合算して勘定される。
日本ではこうした枠組みがない。「抜け道」がいくつも存在するのはこのためだ。例えば、政治家が代表を務める「政党支部」というのはいったい、誰のどのような活動を賄う資金を集めるために存在しているのだろうか。
政党支部が政治家個人の政治活動のための集金組織だとすると、米国ではそうした組織は許されていない。それが政党の活動であり、かつ国会レベルの活動のための組織ということであれば、米国の制度下では、党への、小沢氏の場合でいえば民主党への献金として勘定される。さらには米国では、「政治活動」資金から「選挙活動」資金への資金移転も禁止されている。
「政治活動」資金から「選挙活動」資金への資金移転がなぜ禁止されるのか。米国では献金でまかなうことができる活動は「選挙活動」だけであり、その原資となる資金は、すべて個人からの献金でなければならないというルールがある。今回、西松建設のダミーとみなされた政治団体「新政治問題」研究会では、会員から会費として集めた資金が小沢氏の資金管理団体「陸山会」への献金原資となったとされているが、米国ではそうしたことは許されない。
PACというのはイメージとして日本の「政治団体」と似ていると感じるかもしれない。しかし、PACは企業や労働組合の構成員やその家族による個人献金を管理する組織であって、正式名称は、“Separate Segregated Funds : SSF”(分離独立基金)だ。したがって、構成員らからの献金は、あくまで自発的なものでなくてはならず、献金の強制や献金に見合う金額を企業が弁済したりすれば罰せられる。
日本では「政治団体」から政治家の資金管理団体に一度に数百万円もの献金が可能で、これが抜け道といわれるゆえんだが、米国では大統領であれ、連邦議会議員あるいはその候補者に対してであれ、他のPACに対してであれ、PACが献金することの出来る金額は上限5000ドル、日本円にして約50万円だ。全米に存在するPACは、2009年の1月時点で4611件と発表されている。この数字には、企業もあれば労働組合もあり、さらには環境運動で有名な「シエラ・クラブ」のような「市民団体」」が設立したPACも含まれている。
日本と違って、よく「米国には寄附の文化が根付いている」といわれる。昨年の大統領選挙でオバマ大統領が200万件以上の小口個人献金(2万円以下)を集めたことが話題となった。しかし、そのオバマ大統領でさえ、集めた約750億円の資金のうち小口個人献金が占めたのは約3割にすぎない。裏をかえせば、米国でも、政治家に献金する人の多くは、何らかの関係性を持ち、かつお金に余裕のある人が主体なのである。米国でさえこうした実態にあるのだから、日本で安易に「ネットで広く薄く資金集めを」といったところで、実態が伴うようにするためには税額控除など、よほどのインセンティブを与えなければ難しいだろう。
周知のように、アメリカ政治は政治家個人の資質によるところが大きい。いっぽう、日本の政治制度の全般像は、米国より英国のほうが近い。とりわけ、「政治とカネ」の問題において日本が英国と似ているのは、献金より政党助成金制度のようなものだ。ちなみに、米国には日英のように、政党の活動を直接支援するための政党助成金制度はない。
とはいえ、日英の政党助成金制度には大きく異なる点がある。日本では、政党助成金は毎年1月1日時点の所属国会議員数あるいは直近の国政選挙における得票数に応じて算定される。すなわち、所属国会議員の数が大きい政党が、より多くの助成金を受け取ることが出きるようになっているのだ。
ところが、英国では、国が政党が活動するのに必要な金額を算定し、党費など、政党が独自に集めることの出来る金額との差額を国が助成する仕組みになっている。したがって、政党の所属国会議員の数は助成額には反映されない。たとえ党勢が劣勢で、資金が集められなくても、基本的な政党活動を行うのに必要な金額であれば、国が助成するのである。
英国政治は政党中心である。たとえば国会議員候補者は政党が割り振った選挙区から立候補する。したがって日本のように、選挙区などで「地盤」・「看板」・「カバン」を苦労して築く必要もない。日本で政党中心の政治を掲げたとして、その意味するところを政治制度の中にどこまでビルトインできるのだろうか。
以上、日本と米国・英国をかんたんに比較しただけでも以下の点が浮かび上がってくる。すなわち、日本では「政治とカネ」について理念のないまま、各国から都合の良い部分をもってきて、それをツギハギしたような制度だといってよい。日本政治を支える理念なくして、「政治資金規正法」をいたずらに改正し続けても、あるべき姿はいっこうに浮かび上がってこないのではないか。
(中村 克彦 なかむら・かつひこ=社団法人アジアフォーラム・ジャパン研究部長 http://asianforum.jp/)
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