天皇の皇位継承について規定した「皇室典範」(1947年5月3日施行)は、第1条で、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。皇統、すなわち歴代の天皇につらなる血統を維持するため、天皇と男性のみで血統がつながる子孫である、男系子孫を天皇の地位の継承者にした。これは、天皇の地位について、憲法第2条が「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」で規定したのを受けたものだ。
旧皇室典範(1889年制定)では、非嫡出の男系男子、つまり側室の子にも皇位継承を認めていて、実際、歴代の天皇の半数近くが非嫡出子の継承だった。しかし、戦後に制定された現皇室典範では、社会倫理の観点から、嫡出子に限定された。
125代を数える天皇のうち、女性天皇は10代、8人いた。聖徳太子を皇太子にした推古天皇をはじめ、飛鳥・奈良時代には皇極(斉明)、持統、元明、孝謙(称徳)、江戸時代には明正、後桜町の各天皇が即位した。いずれも男性天皇の子孫で、即位したあとは独身を貫き、他の男性皇族が皇位を継承するまでの中継ぎとしての役割を果たした。ちなみに、欧州の君主国では、すべて女性の国王を認めており、英国やオランダ、デンマークでは女王が在位しているし、スウェーデンの皇太子が女性だ。
これに対し、女系天皇とは、父方に天皇血筋を持たない男性と天皇の子孫が結婚してできた子が即位した場合をいう。具体的にいえば、皇太子の長女、愛子さまは、現典範では皇位を継承できないが、改正されて女性天皇が容認されれば可能となり、次に愛子さまと結婚した方との間にできた第一子(男女に限らず)が天皇になったとき、その方が女系天皇にあたる。
皇室典範の改正がいわれるのは、現典範のままだと、皇位継承者が今のところ皇太子、ついで秋篠宮以外にいないという現実がある。改正案の提出に傾いたのは、「世襲という最も基本的な天皇制の伝統を、将来にわたって安定的に維持するという意義を有する」(皇室典範に関する有識者会議報告書)との理由からだった。
改正案では、女性、女系天皇の容認のほか、皇位継承の順位は第一子優先、結婚した女性皇族の宮家創設の容認も盛り込む方針で、これによって、「多くの国民が支持する象徴天皇の制度の安定的継続を可能とする」(同)としている。これに対し、とりわけ女系天皇容認については、「万系一世の男系を守ってきた皇室の伝統を破壊する」、「世界にも例のない天皇の権威が損なわれる」などとの反対論が根強く、天皇陛下のいとこである三笠宮寛仁さまも否定的な見解を公表した。
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