1月9日、「防衛省」が誕生した。1954年に防衛庁が設置されて以来、半世紀以上にわたって総理府・内閣府の外局だった同庁は独立した省に昇格、久間防衛庁長官が初代の防衛大臣に就任した。安倍首相は防衛省での記念式典で、「国防と安全保障の企画立案を担う政策官庁として位置づけ、国防と国際社会の平和に取り組むわが国の姿勢を明確にすることができた。戦後レジームから脱却し、新たな国造りを行う基礎、大きな第一歩となるものだ」と強調した。
これまで、防衛庁長官は国務大臣ではあったが、防衛行政を担当する主任の大臣ではなかった。したがって閣議の開催を求めることも、予算を請求することも、内閣府の長である総理大臣を経由せずには行えなかったのである。長い間、こうした立場に置かれていた理由について、防衛庁は「その任務の性格が主として防衛力整備や人事といった自衛隊の管理にあると考えられていた」という見解を示している。
しかし実際には、憲法9条のもと、自衛隊を一人前の軍隊と見なすことを避ける風潮があった。自衛隊の前身である警察予備隊が設立されたとき、政府は、憲法改正をした後に、米の統合幕僚会議と同様の「統合参謀委員会」の設置とならんで、陸海軍両大臣の任命を構想していた。しかし現実にはその後も自衛隊は「軍隊」となることはなく、防衛庁自体も、安全保障政策を立案することは許されなかったのだ。
その証拠は、先に述べた予算請求権や閣議請議権だけではない。日米安保条約を所管するのは外務省であって、国務省だけでなく国防総省のカウンターパートも外務省が務めてきた。90年代以降、海外活動が拡大されてきた過程についても、久間長官は「今までだったら、外務省が、こう決めて、こういうふうに国際協議でなったから、自衛隊さん出なさい(という感じがあった)」(05年11月28日衆院安全保障委員会での発言)と語る。防衛庁幹部の中には、自らを「外務省北米局防衛課」と自嘲する者もいたという。
今回の省昇格によって、防衛省は「政策官庁」として位置づけられ、今後、外務省や国土交通省などと対等のレベルで、国の総合的な安全保障戦略の立案に参画できることとなる。例えば、空港や高速道路などの建設について、防衛の視点に基づいて意見を述べることが可能になる。これにともない、防衛省では今年9月にも組織再編を行い、中長期的な視野で防衛政策を研究する「戦略企画室」と、在日米軍再編やミサイル防衛など日米同盟強化を促進するための「日米防衛協力課」を設置する予定だ。
だがそれだけでは不十分で、真の政策官庁となるには、軍事知識の豊富な背広組が、防衛省内局の背広組と対等に防衛相を補佐する仕組みを作る必要がある。そのための方策として、西元徹也・元統幕議長は「文官だけが官房長、局長になれる防衛参事官制度の見直しや、首相補佐官への自衛官の登用」を提言している(産経新聞06年12月16日付)。
省への昇格に加えて、参事官制度が見直されるとなると、シビリアンコントロール(文民統制)がきかなくなるのでは、と危惧する声が大きくなるかもしれない。自衛隊法が改正され、国際平和協力活動が今までの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされたことが、そうした声を後押ししている。だが、自衛隊の最高指揮官は従来通り内閣総理大臣であるし、国会によるチェック機能も変わらない。
他省と対等になったと喜ぶ背広組に対し、制服組の間には「昇格よりも予算獲得を」と冷ややかな視線もある。自衛隊の海外派遣に関する恒久法を制定すべきか、安倍首相が創設を目指す「日本版NSC」との関係をどうするかなど、安全保障に関わる議論は尽きない。政界きっての安全保障政策通といわれる石破茂・元防衛庁長官は「防衛庁を防衛省にすることによって、これで防衛の懸案はすべて片づいた、事成れり、よかったよかったというふうになるのが一番恐ろしい。ある意味で、名前を変えて中身が変わらなければ全く意味がない」(05年11月28日衆院安全保障委員会での発言)と語っている。
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