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母が大腸がんであると知り、そして術後たったの10日で退院するまでのあいだ、わたしが本気で泣いたのは、告知直後と、この「開腹か、腹腔鏡か」の選択が任されるかもしれないと思った夜だけであった。告知直後は、
「がん=不治の病」
というイメージに苦しめられて、母を失うかもしれないという絶望に、泣いた。わたしはかなりドライな人間であり、情緒欠陥の部分があると思っていた。しかしそれは間違いだったようで、母ががんの告知を貰った後の数日は、ひとりの部屋で床を転げまわって、泣いた。吠えるように泣いた。苦しくて床を転げ、最後は泣きすぎて吐いた。それからやや冷静になって、情報を収集して、
「大腸がんは、切れたらほぼ勝利」
というデータに接して、泣いている場合ではないと立ち上がり、だんだん根性もついてきた。しかしそれでも最後に泣いたのが、
「開腹か、腹腔鏡か」
の選択をせねばならないとほのめかされた夜だった。
安全なほうを選ぶ、かならず失敗しない方法で手術をしてもらおうと自分にいくら言い聞かせても、
「腹腔鏡のほうが患者に負担はないというし、もしかしたらそのほうがいいのではないか。わたしは母に無駄な苦痛を与えようとしているのではないか」
という思いが浮かんでは消えて、なぜこんな苦しい決断をする場面に立たされたのだろうと、運命をうらんだ。
しかし結果的には、まったく選択の余地はなかった。
そのことにわたしは救われた。
じつはわたしは、医師との対立を招くような“患者の会”のたぐいの活動には、少々懐疑的であった。我々患者がいくらにわか勉強しようと、専門家にはかなうわけもないし、無駄に医療不信を募らせるのは、双方にとって不幸であると、考えていたのだ。
そんなふうに考えていたときに、この「慈恵医大青戸病院事件」が起きたのである。
事件の顛末は前回に書いたとおりである。技術的に難しい腹腔鏡下の手術経験のほとんどない3医師が、指導医なしで手術を行い、結果、患者を死なせた。しかも、検察側の主張によると、手術当日の経緯というのはこうなのだ(参考:朝日新聞6月15日付夕刊)。
午前9時41分ごろ 手術開始。手技マニュアルを読みながら、手術室に立ち会わせた医療器具会社員に器具の使い方を「こうだよね」と確認しつつ進める。
正午ごろ 斑目被告が器具で静脈を傷つけ出血。
午後4時すぎ 長谷川被告が止血しようとしたが静脈を針で傷つけ、針が組織内に入ったまま出てこなくなる。
まったく未経験の医師3人が、なんと「マニュアルを読みながら」患者の肉体で実験をしたというだけでも恐ろしい話だ。むろん、すべての医療は、その最初は人体実験である。それは認める。その実験の果てに医療の進歩はある。しかし実験的な医療というのは、
「その患者がそれを試すと助かる可能性がある。かつ、現段階では、ほかに希望の道がない」
という状況以外に、基本的に許されるべきではないようにわたしは思う。
しかし、この話の気分の悪さはここで終わらない。午後7時50分ごろ(すでに手術開始後10時間近くが経過している!)、医師のひとりがようやく患部を摘出したのだが、このときの台詞というのが、ニュースを聞いていたわたしの耳に間違いがなければ、こうなのだ。
「はーい、生まれました。玉のような男の子でーす」
完全に遊び半分である。祈るような思いで手術の終わりを待つ患者の家族たちは、手術室の扉のむこうで、こんなふざけたやり取りが交わされているなどと、つゆとも考えなかっただろう。仮にも、ひとりの人間の命を託された医師3人が、小学生が面白半分でカエルの解剖をやるような気持ちで手術に臨んでいたなどと、だれが想像するだろう。
検察側の主張の続きはこんな感じである。
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