2006.07.06
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
死んだ人の著作権を保護してどうする! その1
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 うーん、しょうがない。今週は著作権の話をしよう。
 前々から一言ある分野だったんだけど、これを語り始めると自分が「すっげえオタク」なのがバレるよねと思って黙っていた。ちなみにわたしがどのぐらいオタクなのかを証明すれば(したくもないが)、たとえば「萌え」については、こんな知識があるってあたりを語ればわかってもらえるだろう。
 昨今のオタク界を語る上でのキーワードに「萌え」という言葉があるのはご存知の通りだ。けど、しばしば誤解されているのが、「萌え」の発祥地が「2ちゃんねる」であるってことだ。
 ノンノーン!
「萌え」の歴史はもっと古い。
 わたしの記憶しているところによれば、Windows95が生まれた年、すなわち1995年にはすでに「萌え」は誕生していた。X68000という、マニアックなPCユーザーのあいだで使われていた機種があって、ここのユーザーたちは現在の「2ちゃんねる用語」に匹敵するような、68ユーザーだけに通じる言語を駆使してコミュニケーションを行っていた。で、この68用語のなかに、すでに「萌え」は存在していた。ちなみに『日本の論点 2006』に「萌え」という用語の解説が載ってるから抜粋すると、

 アニメやゲームを中心とする「おたく」の世界で、特定のキャラクターやキャラクターの一部の要素(制服、眼鏡、ネコ耳など)に深い魅力を感じ、心が奪われる状態を指す言葉として使われる。

とまあ、こんな感じだ。1995年のころ、わたしはちょうど『日本の論点』編集部で索引を作る手伝いをしていて、
「不良さいけん、ってなんだろう?」
とか思いながらキーワードを入力してたんだけど、まさかね、その12年後には「萌え」という用語が『日本の論点』で語られるとは思ってもみなかったですよ。大丈夫なのかよ、日本。「コンテンツ立国」とか言ってる場合じゃないんじゃね?
 で、68用語の続きだけど、いまは廃れちゃった用語として、
「天然物、養殖物」
というのがあった。なんのことかというと、「生まれついてのオタク」は、畏れと同時に軽い蔑視の対象として「天然物」と呼ばれていた。で、「養殖物」というのは、友達がオタクだったからその影響を受けてとか、周囲の環境に影響を受けて後天的にオタクになったという意味。当時、知り合いに68ユーザーがいたんだけど、
「山崎さんは天然物」
と、わたしのいないところで陰口を叩いていたらしい。
 12年前にすでに「萌え」という言葉を日常用語として駆使していた連中に、「天然物」などと言われたくないわ!
 ま、いいや。ついでなので開き直って自慢をしちゃおうと思うが、あれはたしか1992年だったと思うんだけど、あるPC系の出版社(孫って人が会長かなんかのとこ)からゲーム業界を紹介する記事を書けっていわれて、わたしは、ある会社に取材に行った。社員数は10名いるかどうかの、すごく小規模なゲーム会社である。
 この会社の社長は、田尻智といった。当時、25か26ぐらいだった。
「極秘ですけど、田尻はいま、すごく面白いゲームを企画してんですよ」
 そう語る若き社員たちの目はキラキラと輝いていた。わたしは田尻さんへのインタビューをテープに収め、最高にいい取材ができたと思って意気込んで記事を書いたんだけど、その出版社から、
「どうしてこんな小さな会社を取り上げるのだ。しかも巻頭で」
と、ごっつい叱られたんである。おまけに当時まだ20代前半だったので、セクハラチックな疑いまでかけられた。そこの社員と、特別の関係にあるんじゃないか、みたいな。そんなものは、ないっ。まったくないっ。
 畜生、見てろ、いつかはわたしが正しいことが証明されるとホゾを噛んだ。あの会社は面白いんだよ!
 そう、すでにお気づきのかたはいるだろう。
 この会社が幾多の資金難をくぐり抜け、ついに開発した「田尻のすっごい面白いゲーム」が、世界に羽ばたいた「ポケットモンスター」である。わたしゃその開発画面まで見たよ、1992年の時点でな。おう。この手のことには嗅覚が働くんだよ。「天然物」だからな。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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