2006.07.13
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
死んだ人の著作権を保護してどうする! その2
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 打倒、ねずみーランド!
 前回の続き、著作権法の改正――いや、完全に改悪だけどさ――について。今回の合言葉は、「打倒、ねずみーランド」である。
 毎日新聞だったと思うんだけど、読者から投稿されてた川柳で笑ったのに、

 ミッキーも、おまえの嫌いなねずみだぞ

 というのがあったっけ。
 まあそれはどうでもいい。問題は、このままいくと著作権の保護期間が70年に延長されそうな件についてだ。この問題、「文化庁の諮問機関、文化審議会著作権分科会」という、一度読んだだけでは頭に入ってこないような名称の会で検討されているらしい。これが実現してしまったら、くだんの「青空文庫」がどうなっちゃうか。論点編集部の解説を読んでびっくり。こうなるのだ。

 70年の新保護期間を適用すると、06年時点で青空文庫のリストから、太宰治、新美南吉、中島敦、坂口安吾、島崎藤村、泉鏡花、原民喜、堀辰雄、折口信夫、中里介山、小熊秀雄、織田作之助、岸田国士、横光利一、宮本百合子、与謝野晶子、林芙美子など、登録作家のほぼ半分が消えるという。

 すでに完全な「古典」ばっかりじゃん。
 なんですか、それは。
 わたし思うんだけど、この素晴らしき先人たちは、自分の著作が読み継がれることは望んだに違いないと思うが、
「我が死後70年にわたり、俺っちの子孫に著作料を支払え」
と考えたりは、絶対にしてないと思うぞ。その考え方がそもそも、偉大な作家たちへの冒涜ですらあると思う。
 例えば、わたしが中島敦の作品に始めて触れたのは高校の教科書だったが、「山月記」の冒頭、
「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」
などは、いまでも暗誦できるほどに、この作品には衝撃を受けたもんです。
 官を辞したあと詩作で身を立てようとしながら、
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
のために、いまでいうニートになり、果ては人間であり続けることすらできなくなった李徴の物語は、大学卒業後、限りなくニートに近いフリーターになってから、自分の在り様について自ら問いただすとき、かならず脳裏によみがえってきたものだ(このような素晴らしい古典作品に出会えただけでも、国語の授業を受けていてよかったなと思う)。
 もしも中島敦先生が霊になって出てきてくださって、
「先生の作品はインターネットというものの上で公開され、点字の読めない視覚障害者の人たちも無料で先生の御作に触れられるようになっています」
と知らせたとしたら、きっとお喜びになると思うのだ。他の蒼々たる作家陣も、それは同じだろうと思う。
 生きている人の著作権を保護することには意味がある。その対価でクリエイターは次の作品を生み出せるのだから。それによって文化は豊かになる。しかし亡くなったクリエイターの著作権を、死後70年にもわたって保護することに、なんの意味があるというのか。それは、なにも生み出さないどころか、文化的資産の共有を阻み、文化を細らせるだけである、と思う。
 どうしてこんなことになったのか。それについてはわたし以上に『日本の論点PLUS』の読者のかたはご存知だと思うのでいまさら言ってもしょうがないけど、念のため、富田氏の論説から抜粋しよう。

 このEUの動きに乗じたのが、アメリカの娯楽産業である。競争力を維持している作品やキャラクターの商品寿命を、70年に延ばそうとする観点から、法案の成立に向けて、業界からのロビー活動が活発に行われた。これまでも、保護期間の延長によって繰り返し公有化をまぬがれてきたミッキーマウスのキャラクターは、これによって2003年の権利切れも回避し、さらに20年間保護されることになった。同法が皮肉をこめてしばしば「ミッキーマウス保護法」と呼ばれるのはそれゆえである。

 ねずみの化け物のグッズで儲ける企業のために、こんな法案を通されてなるもんか。
 だいたい、著作権著作権いってる企業がなにをやったか。「ライオンキング」は、どこからどう見ても手塚治虫先生の「ジャングル大帝」のパクリなのに、よく恥ずかしげもなく「著作権の保護」などと。夜の8時45分になると、わたしの住まいから浦安のねずみーランドの花火が見えて、轟きも響いてくるんだけど、そのたびに腹が立つ。
 ま、かくいうわたしも、親戚の子供とかにねだられると、仕方なくねずみーランドに金を落としますが。それがまたムカつくんだよね。
 たとえば去年の夏、親戚に頼まれて義理の兄の子をディズニーランドで一日遊ばせることになった。相手は小学校低学年の女の子ですからねえ、みんなと同じ物が欲しい。まず、首からぶらさげるディズニーのキャラクターつきのバケツ。これ、園内で子供がよく首から提げてるんです。そこにポップコーンを入れてもらって、列に並んでいるあいだ、ぽりぽり食べるわけです。持ってる子は自慢げ。するともう、欲しくて欲しくてたまらない。このポリバケツ、なんと800円。材質は百均で買えそうなホントにただのポリバケツ。そこにプーさんとかが描いてあるだけで、いきなり800円。これが欲しい。子供としては、どうしても欲しい。
 我が子だったら、
「おかーさんは、ねずみーランドに来ているだけでムカつくから、あんなもん欲しがったって買ってやらないよ!」
と言いたいところだが、そこは親類の子。血もつながってない。腹立つなーと思いつつ買い与える。すると次は、扇風機。小型の携帯用で、顔のほうにむけて回すとちょっとだけ風が起きる。キラキラ電飾が光る。これが欲しい。仕方ないから買う。そして昼食。ミッキーの絵が描いてあるっていう不気味な「なると」が乗っただけのラーメン。そしてとどめは、なんか頭に触覚みたいのを生やすヘアバンド。たしかこれをつけているとミニーちゃんになれる。これが欲しい。
 いい加減にしろ! してください。
 ま、子供に言ってもしょうがないから、黙って買い与えてしまうわけだが。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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