2006.11.16
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
女の定義と性同一性障害 その2
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 成長というのは自己否定と自己肯定の揺れ動いた果てにある。
 と、個人的に思っている。
 たぶん多くの人が同じではないかと思うのだけど、わたしの思春期の前半は、
「わたしであるのが嫌だ」
という猛烈な自己否定感から始まり、最終的には、
「ま、わたしがわたしであってもいいか」
という肯定に流れが変わって、思い出すだけで恥ずかしくなる人生の、いちばん醜い季節にピリオドを打ったように思う。ああ、痛い奴だったなあ、自分は。という慨嘆はさておいて、先週、
「自分はトランスジェンダーにかなりの部分、足を踏み入れていて、こっちに転んでいたとしてもおかしくない要素は持っていたぞ」
と、しごくおっかない事実を、
「もしかすると、そうかもしれません」
と、おずおず肯定するような、いやこわいんで大声で否定したいような、揺れ動く気分を語ってみたわけだけど、先週からじーっと考えてみたら、自分のなかで転換期があって、自分はかなり意図的にトランスジェンダーの側の道を選択しなかったという気がしてきたのだった。
 で、このバックボーンになったのが、松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』だったのだ、たぶん。
 人生に何度か、
「しまった、すごい本と出会ってしまったぜー」
とダメージを受けたことがあるけど、これはわたしにとってはそうした本の三本の指に入る一冊だった。軍用品払い下げを扱う、いわゆるミリタリーショップで迷彩服と鉄板の入った安全靴を買い求め――ああ、本当に痛い、痛すぎる――そういう格好で池袋をぷらぷらと歩いていた十代の終わり、西武の小綺麗な本屋にその本は平積みになっていた。
 女性がさかだちしてスカートがめくれてパンツが見えてる。なんかそういう表紙がみょうに目について、誘われるように手にとった。いまだに、あの十代の終わりのあの瞬間が脳裏にやきついている。ぱらっと読んで、焦った。
 レズビアンの人の話じゃないか。
 なんじゃこりゃあ。
 あわてて書棚に戻そうとして、ふと思いとどまった。
 ま、なにが書いてあるのか、読んでみようか。
 一種、挑戦するような気分だった。わたしの知らない世界も見てやる、というような。




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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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