2006.12.14
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ギャンブル依存症と神という概念 その2
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『日本の論点2007』をめくっていたら、懐かしい顔をみかけた。斎藤学氏である。
 今回、わたしは帚木蓬生氏の『借金と嘘言。ギャンブル依存症は治療しなければ際限なく進行する』について思うところを述べようと思っているのだが、斎藤学氏もまた、帚木氏が原稿中で述べている依存症の患者のための自助グループとは縁の深い人物である。
 わたしのなかでは、ある意味、黒歴史になっている過去をいま明かそうと思う。わたしは斎藤先生が八幡山の都立松沢病院にいた(どういう勤務体制だったかは知らないのだが、とにかく先生は松沢病院にいて、秘書の女性がいた)時代に、先生に1時間ほど一対一で話を聞いてもらったというか、相談に乗ってもらったことがある。記憶に間違いがなければ13〜14年前のことだった。
 当時は先生の名前を知ってる人間はとても特殊な人種に限られ、先生もいまよりは確実に暇だった、と思う。その後、一種の流行語ともなったAC(アダルトチルドレン)が機能不全家族のもとで育った子を意味する用語だと知るのも、ごくごく、わずかな人間であった。
 わたしはすがるような思いで秘書の女性に頼み込み、先生に話を聞いてもらいたいのだとお願いした。カウンセリングの相場も知らなかった。ポケットには2万4000円と少しの小銭。その月の全財産だった。すべて払っても足りないかもしれない。けれどいま相談に乗ってもらわないと、自分は重大な人生の選択を誤るかもしれない。祈るような気持ちで先生に会わせて欲しいと頭を下げた。事情を汲んでくれた秘書の女性が先生の了承を取り、わたしは先生の部屋に通してもらうことになった。
 斎藤先生は、顔からまったく思っていること、感じていることが推察できない表情でわたしを迎えた。無表情かというと、そうではなくて、つねに思うところがあるような雰囲気なのだが、笑うでもなく、かつ、怒っているわけでもない。逆上した人間をすっと静まらせるような風貌だった。どこか底知れないなにかを感じた。
 このときなにを先生に相談したのかは、さすがに語れない。その代わり、先生がわたしにヒントとして与えてくれたかというと、
「ACは常に危険と隣り合わせに生きてきたので、自分に危険が迫っていても、遠ざかる術を知らない」
ということをまず教えてもらったと思う。そしてそのあとに、先生はこう言ったのだ。
「もし付き合う相手を選ぶとしたら、ACの場合は一緒にいてどきどきしないほうの相手を選ぶのが安全といえるでしょうね」
 なにかハッとするものがあったのだが、念のため確認を求めた。
「先生、どきどきするのが恋愛なんじゃないのですか?」
「ACは、危険な相手と接している恐怖心による感情の高まりを、恋愛と勘違いしやすい傾向にあるねえ」
 無意識のうちに、殴られた頬をさすっている自分がいた。非常に納得がいった。わたしは先生に深く頭を下げた。そしてポケットに手を入れた。
「先生、わたしがいまお支払いできるのはこれだけなのです。とても足りないとは思いますが」
 お金を差し出すと先生ははじめてニヤリと笑い、
「今日のところはいいから。あなたがまた本を出すようになったら、JACAに寄付してくださいよ」
と、わたしの窮状を察してお金を受け取ろうとしなかった。
 こうしてわたしは斎藤先生の助けのおかげで、人生のひとつの危機から逃げ去ることができたのである。




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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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