2006.12.14
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ギャンブル依存症と神という概念 その2
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 かくのごとく、わたしは斎藤先生に恩義がある。おまけに何冊かの本もこの後、出した。だというのにわたしは現在、いろいろ思うところがあって、いまだJACAに寄付をしていない。
 JACAはジェイカと読む。日本アダルトチルドレン協会といって、ACのための“自助”グループである。自助グループとは読んで字のごとく、自分たちで自分たち自身を助けるために、主に、アルコール依存症、薬物依存症、そして帚木氏が文中で取り上げているギャンブル依存症の患者たちが自発的に作るグループなのであるが、JACAは“自助”グループであるといいながら、それは斎藤先生が作り上げたものであった。
 当時は八幡山の都立松沢病院の一室で、JACAのミーティングは行われていた。ACはえてして年齢不詳になりやすいとよくこの界隈では言われているそうだが、確かにそれは事実で、50人ほどの、かつては子どもであった者たちが集まっていた。下は十代の終わりから、上は三十代に手が届くあたりまで。年齢不詳になりやすいのは、肉体的には年をとっても、精神的な面がついていっていないギャップに加えて、自身の肉体的な成熟した姿を客観的に捉えられないため、服装がちぐはぐになりやすいことが最大の原因だったと思う。
 JACAを通じて知り合った、ある男の子は、
「JACAに集まってくる連中って、虫みたいだよね」
と、仲間をさげすんでいた。言ってることの意味はわかった。確かにわたしを含めてJACAのメンバーは、踏みつけにされてもしかたがない虫のようなものだった。
 会議用の長いテーブルを輪のように並べて、ミーティングは行われた。
「今日は人数が多いから、話は短くまとめるように」
 斎藤先生がそう告げると、時計回りで各自が挨拶しだす。このとき、アノニマス・ネームといって、ネットの世界で“ハンドル”と呼ばれているような、仮名を名乗る。
 仮名というものにはふたつの意味がある。ひとつは、匿名性を守ること。もうひとつは、これはあくまでわたしの解釈として聞いて欲しいのだが、なんらかの功績を特定の個人の「手柄」にしないためである。しかし、JACAのなかでアノニマス・ネームを名乗る意味はひとつしかなかった。匿名性を守ること、その場で話したことが外部に漏れないようにするため、であった。
 JACAでも一応、アノニマス・ネームを名乗るときに、自分の個人的な話――そこに集っているのは機能不全家族で自分は育ったと信じているかつての子どもだから、親から過去にこんな虐待を受けたの、絶対に許さないのといった話を語るわけだが、長く話すことはまったく歓迎されてなかった。なぜなら、このあと斎藤先生による“講義”が始まるからである。その時間が来ると眠たそうだったメンバーたちが、「待っていました」とばかりに、身を乗り出す。ちなみにミーティングに参加するのには費用はいらない。
 いまとなればあんなに濃く、身近に斎藤先生の話を聞ける場はもうないだろう。JACAの所帯はまだわずか50人前後、一種の実験段階にあったように思う。わたしたちを前にして、よどみなく斎藤先生が語る。
「この世に児童虐待がなければ、我々精神科医は廃業しないとならない」
 あれだけの流行を生み出しただけあって、斎藤先生の語り口は独特の面白みがあり、なおかつ、こうした子どもたちの心の機微を知り尽くしていた。わたしたちはとても熱心に「勉強」した。目の前にいるひとりの偉大な精神科医が、わたしたちの生き難さを取り除いてくれるものと信じた。
 いま思い出すと、不思議な光景である。
 ミーティングは、斎藤学の「監修」のもとに行われていたのだから。
 講義が終わると、「かつての子どもたち」が急いで先生の周りを取り囲む。とくに摂食障害の女の子たちは、争うようにして――いや、実際争っていたのだ。先生の愛情を、先生の関心を、奪い合っていたのだ。教祖、斎藤学。そう呼んでもまったくおかしくない光景だった。
 この話、ちょっと長くなります。

 つづく。



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