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ボスこと、『日本の論点』編集長の渡辺さんに、
「どうだね。君の知り合いに、ギャンブル依存症者はいないのかね」
と尋ねられた。知り合いというほどではないが、親友の元彼というのが絵に描いたようなギャンブル依存症者だった。学生時代のデートはいつも川崎の駅前のパチンコ屋。彼女を横に座らせ放置し、自分は延々と一日中スロットをやってるという訳のわからん男であった。普通の女なら激怒するだろう。てか、わたしがこれをやられたら、ぶっ飛ばしてその場で別れる。ないし、自分も打つ。ま、どっちかといえばこっちだな、自分も打つ。打って負けたら、
「お前のせいでパチンコ打って負けた」
と、ののしる。ああ、自分はかなり最低な女だ。やっぱり帚木先生の言うとおり依存症者は鬼か悪魔だ、というつぶやきは置いといて、わたしの親友のほうはどうかというと、唯々諾々として彼氏に従ってしまう、よく言うなら古風な、悪く言うなら病的な部分を持ち合わせている、耐える女だった。ギャンブル依存症者というのは、こういう女をじつに目ざとくみつける種族だ。
で、この男、大学を卒業してから彼女の実家の近くの会社に就職したので、彼女も寄り添うように地元に戻って就職。彼女は某石油会社の事務方として働いて、地道にOL業に励んだ。その頃、この男がどうしていたかというと、会社に行かずに一日中パチンコ屋に入り浸って、開店から閉店までスロット。ことが露見したのは、消費者金融から彼女が働いているオフィスに取立ての脅しの電話が入ったため、である。なぜ、彼女の勤務先の電話番号まで悪徳な消費者金融に明かしたのか。わたしの親友を風呂に沈めるつもりだったとしか考えられない。あの男を思い出すと、いまだ頭にカッと血がのぼる。慌てて親友はこの男に連絡をとろうとしたが、取れない。親友は、
「山崎、どうしよう。あの人、ヤクザに殺されてしまったりしてないやろか?」
と、電話口でさめざめと泣く。
さてこの男、姿を隠していたあいだ何をしていたのか、といえば、消費者金融から借りた金で、別の女と豪勢な旅行をしていた。わたしの親友を消費者金融の取立ての罵声のなかに残して。
この借金は結局、男の親が自宅を売ることで支払ったのだが、都内のそれなりによい立地のこの家は、中古なのに売却額が7000万。これが綺麗に、消費者金融に吸い取られた。親の手元にはなんの資産も残らなかったと聞く。
アルコール依存症も薬物依存症も、ギャンブル依存症と根を同じくした病気であり、ロクデナシであることに変わりはないんだが、アルコールや薬物のほうが周囲の人間にとってよっぽどマシなのは、本人がいろんな身体症状にさいなまれるところだろう。ギャンブル依存症の場合は、本人はいたって元気。帚木先生が書いているように、周囲の人間のほうが「うつ病や自律神経失調症、高血圧に胃潰瘍、頭痛、耳鳴り、不眠に悩ませられる」のに。そりゃそうである。身体に悪いことはなにひとつしてないし、ストレスはパチンコで大いに発散してんだから。
身内にギャンブル依存症者がいる家族のための自助グループ、ギャマノンのミーティングにいけば、おそらくこんな程度の話はいくらでも聞ける。ギャンブル依存症者のまわりでは、日常茶飯事な話であろう。また、わたしの親友の話を読んで、
「ああ、これは共依存だな」
と思った人も多いだろう。依存症者と依存症者を支えるものは、たいてい、セットになってるという定説は正しいと思う。わたしの友人を、彼女には申し訳ないが「病的」と表現したのは、このためである。彼女の父という人は、消費者金融から借りた金でキャデラックに乗り、祖父母に田畑を売らせたという男だった。斎藤先生の言葉を借りるなら、彼女は「危険な相手と接している恐怖心による感情の高まりを、恋愛と勘違い」したわけである。
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