2007.01.18
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
ギャンブル依存症と神という概念 その6
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 わたしの部屋の本棚に、「グリーフワークの進め方」と題したファイルが挿してある。これを見るたび、なんともいえない思いにかられる。
「グリーフワーク」というのは、そのまんま「嘆く仕事」という意味だ。過去の記憶にさかのぼり、自分がそのとき押し隠した本当の感情と直面し、嘆け。そのノウハウが、資料には記されている。いまから十数年前、斎藤先生の講座を受けて貰ったテキストである。
 斎藤先生が作ったACのための自助グループ、JACAでは、しばしばグリーフワークの勧めがあった。これをやらないとあなたの病的な部分とは決別できません。わたしたちは過去を思い出そうと苦しみ、思い出してはまたさらに苦しんだ。沸いてくるのは怒りである。
「JACAに来るとさ、なんかすごく具合が悪くならない?」
 自助グループを通して友人になった鳥ちゃん(仮名)は、しばしばそう漏らした。鳥ちゃんはJACAの発足当初からいたメンバーで、かつての被虐待児童だった。彼の父が彼になにをしたかという話を、わたしは繰り返し耳にして、同じように怒りにかられた。八幡山の駅前にあるモスバーガーに入る金すら事欠くわたしたちは、芦花公園で夕暮れになるまで喋った。冬の日は短く、寒かった。ポケットには小銭しかない。
 鳥ちゃんは統合失調症だったのか。その答えを、わたしは持たない。わたしと話している鳥ちゃんは普通の男の子だった。十七のとき父親に逆襲した鳥ちゃんは、精神病院に引っ立てられた。鳥ちゃんが最初に精神科医と話した。精神科医は彼の話に同情しながら耳を傾けた。次に両親が精神科医に面談し、彼の話は全部妄想で、自分たちは息子の家庭内暴力に怯えている哀れな親だと訴えた。高校生の鳥ちゃんはあっけなく敗訴した。そして檻のある病院へ。彼の未来は、かくして叩き潰された。
 あるとき、鳥ちゃんから電話を貰った。
「山崎、俺、死んじゃうかも」
「毎度、毎度、そんなことばかり言って」
 彼はしばしば、真夜中だろうと明け方だろうと人に電話をかけてきた。寂しくて死んじゃうという脅しの意味だった。
「違うよ、三十八度七分も熱があるんだ。本当に死んじゃうよ!」
 鳥ちゃんの父親は、鳥ちゃんを恐れて、お金を出して鳥ちゃんを一人暮らしさせていた。
「わかった、いま行く」
 古い市営住宅の一角にある鳥ちゃんの部屋のなかはゴミだらけで、汚れきって湿った煎餅布団のなかで鳥ちゃんは震えていた。
「寒い。山崎、寒いよ」
 煎餅布団は冷たく、ひんやりしていた。
「こりゃ駄目だよ、鳥ちゃん。これじゃ寒くなる一方だよ。うちから布団を運んでくる」
「どうやって」
「しょうがないでしょ、タクシー使うよ」
「お金、あるの?」
「ない。ないけど、しょうがないじゃん」
 鳥ちゃんの借りてる部屋とわたしの借りてる部屋は、偶然、一駅しか離れていなかった。わたしは自室に戻ると、手持ちの毛布やらなにやらを抱えて、大通りでタクシーを止めた。胡散臭い目で見られても、耐えるしかなかった。
 鳥ちゃんの部屋に戻ると、鳥ちゃんは震えながら天井をながめ、つぶやいた。
「俺たち、どうしてこんなにみじめなんだろうね」
「さあね。ほら、毛布」
 ありとあらゆるみじめさが、わたしたちの友だった。人に大事にされたことのない人間は、自分を大事にする感覚に欠ける。愛されたことのない人間は、自分を愛せない。鳥ちゃんに毛布をかけながらわたしは思った。
 母親から貰って大事にしていたカシミヤの毛布、当時のわたしがもっていた唯一の贅沢な品が、その後どうなったのかを、わたしは知らない。わたしは鳥ちゃんに毛布をかけ暖を取らせたのち、部屋の掃除に取り掛かった。ゴミは何重にも地層を成していて、いつになっても畳が見えてこなかった。
「こんなところで寝ていたら病気にもなるよ、鳥ちゃん」
「いいよ、山崎。恥ずかしいから止めてよ」
「死にたいの? こんな部屋で寝てたら肺炎になるって」
 なにか硬いものを踏んづけた気配がした。ふと足元を見ると、刃渡りのたいそう長い、新品の刺身包丁が出てきた。
「なんじゃこりゃあっ」
 包丁を踏んづけていたわたしは絶叫した。
「こないだ買ったんだ。やるよ、山崎に」
「いらんよ! てか、なんでこんなものを」
「――殺してやろうと思って」



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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