2008.10.30
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
●第174回●
国民カミングアウトDAY その1
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 以前した話と重複するかもしれないが、この原稿の都合上、あえてもう一度語りたい。というのも、わたしが本日を、カミングアウトDAYとしたいからだ。
 わたしにはジェンダーの混乱がある。まさしくそれを、いま公としたい。
 で、重複するのが、いまから語る話である。
 この『時事音痴』を長らくお読みくださっている方はご記憶いただいているかもしれないが、わたしは子供の頃、男として育てられた。わたしの旧姓の本名は「山崎牧子」というのだが、これは父が「おおらかで牧歌的に育って欲しい」という願いと同時に、「男」であって欲しかったという願望が隠されている命名なのである。なぜか。「牧子」の「牧」は、「ボク」とも読めるからである。だから父はわたしを、
「ボッコちゃん」
と呼んだ。で、母にしつこく語って聞かされた話に、帝王切開で出血死しかけてようやく産んだ子であるわたしが女だと解かったとき、父はたいそう落胆し、
「なんだ、女か」
とだけつぶやき、病室を出てどこかへ消えてしまったというのである。まだ母は生死の境目におり、病院には万が一のときのために親族が多数呼び寄せられていたというのに、である。
 なぜ母が、わたしにこの話をしつこくし続けたのか。それについての心理はよくわからない。父に対する恨みの心をわたしに植え付けようとしたのかもしれないし、あるいは、暗に、「お前は要らない子だった」と伝えたかったのかもしれないし、あるいは単に、愚痴が言いたかっただけなのかもしれない。なんの悪意もなかったのかもしれない。けれどこの件でわたしに芽生えたのは罪悪感以外の何物でもなく、幼い頃のわたしは、
「将来的には、必ず男にならなくては」
と子供心に思い、男になると心に誓ったのだった。しかしそこは馬鹿というか幼いというか、子供ながらの楽天的な考えで、
「なろうとしてれば、そのうちきっと男になれる」
と信じて疑わなかった。
 だから幼い頃のわたしは、父の教育によって一人称が「僕」だったし、「飯を食うときはあぐらをかけ!」と叱られたので、あぐらをかいてご飯を食べてた。「武士は早飯早糞だ! 戦場では立って飯を食い、糞小便も敵に襲われる隙をつくらないよう、早く済ますものだ」との教えを受けた(山崎の家は遡ると薩摩の“芋侍”と称される下級武士だったので、父も薩摩出身の祖父からそのような教えを受けていたのだ)。だから、これは余談になるが、よく男の人から驚かれるのに、
「トイレに入って出てくるまでの時間が、男より早い!」
というのがある。男の人は女性と行動するとき、トイレの時間が自分より長いものと思い込んでいるから、別々に分かれてトイレに入り、わたしが先に出て待っているのを見ると、びっくりするらしい。この癖はいまも直らず、わたしはどうしても化粧直しの必要に迫られたときは、
「ああ、これではトイレに時間を潰してしまう」
という罪悪感にとらわれる。だからその罪悪感があまりに強いときは、自分のメイクがどんなに崩れて酷いことになっていようが、鏡を見なかったことにして出てきてしまう。これまでわたしと行動を共にしてくれた男性の皆様、化粧の崩れた恥ずかしい女と一緒にいさせてごめんなさい、という気分である。
 とまあ、このような教育を受けていたわたしは、自分を「僕」と称し、あぐらをかいて飯を食い、早飯早糞の鍛錬を怠らなければ、やがては自然に男になれると信じて疑わなかった。長じては武道も学ばなければと思っていたが(父がそれを望んでいた)、とりあえずは僕、あぐら、早飯早糞の鍛錬である。横でそれを見ていた母は、わたしが幼稚園に入学する頃になってようやく、
「これはまずい」
との判断を下したようで、一人称を「わたし」にするようにとの厳命を下した。けれど正直言うと、わたしはいまだに「わたし」という一人称に微妙な違和感をおぼえる。
 残っている家族のアルバムに、父の経営しているガラス屋、ようするに建築関係の会社なわけだが、その社内旅行に同行しているわたしの幼い日の姿の写真がある。まんま、ヤクザの跡取りである。着ているスーツは男の子が七五三のときに着用するものだし(紺の七五三スーツである)、髪の毛は刈上げだし、足は大股に開かれ、手は握りこぶしだ。で、周りにいる社員の人たちは、建築関係の会社だけあって、実に柄が悪い。龍の柄が描かれたシャツを着ているのはいるわ、右頬に傷のあるのはいるわ(ガラスで切ってしまった労災なので、刃物沙汰でそうなったわけではないのだが)、妙なサングラスをかけて威張ったように腕を組んで構えているのはいるわ、目も当てられない下っ端ヤクザファッションなのだ。おまけにその中央では父だけがスーツ姿でいるのだが(元々はアパレル関係で働いていたので、お洒落が大好きで、亡くなるまでの二、三年は、『Leon』の熱心な読者だった)、こういう面々に囲まれていると、どう見ても「親分」にしか見えないのである。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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