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第三帝国と『魂の殺人』 〜そして『滑りやすい坂道』再び その1
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わたしがもう少し運に恵まれず、そしてヒトラーのようなある種の天才性に恵まれていたとしたら、わたしはヒトラーになっていても不思議ではなかった。あるいはもう少し小さなレベルで人殺しになってしまうかもしれない。そう示唆されたように思えたのだ。
わたしは悩んでいた。
どうしたら『脅迫フォント』を書かずに済むような人間になれるのだろう、と。人を殺める人間にならずに済む道は残されていないのか?
そんな折に入手したのが、アリス・ミラーの『魂の殺人――親は子どもに何をしたか』だったのである。ちょうどAC(アダルト・チルドレンの略。もともとは親がアルコール依存症などで機能不全の家庭で育った子供を指す)に強い関心を抱いていた時期だったので、夢中になって読んだ。
たぶん、4〜5回は通読しているはずである。あるいはもっと多いかもしれない。とくにヒトラーが登場する章は、かなり読み返したものだ。
しかしわたしはその数年後、
「脅迫フォントはもう癖になってるから直すには相当な特訓が必要になるだろうけど、連続殺人鬼にはらないで済むだろう。だからまあ、生涯脅迫フォントでいいか」
という道の発端を見いだしたので、久しくこの本を手に取ることはなかった。
それで、この原稿を書こうと思って久々に再読し始めたのだが、いま、正直、
「どえらいテーマを選んでしまった!」
と、ごっつい後悔をしている。
もう、
「こんな分厚い本を読み直して原稿にまとめるのは面倒だから、いっそのこと『魂の殺人』をアマゾンで取り寄せて読んでくれ!」
と叫びたいほどだ。
そう、この著書、かなり分厚い本なので、最初はヒトラーが登場する章だけ読み通して原稿を書こうかと思ったのだ。けれど再読しはじめて気づいた。それ以前にカタリーナ・ルーチュキイの著書のタイトルでもある『闇教育』をかいつまんで説明しないと、訳がわからない内容になると気づいたのである。そこで第一章から読み直すことにしたのだ。
しかし、人間の記憶の脱落性というものは面白い。
脅迫フォントで落ち込んでいた時代、わたしの頭のキャッシュメモリにはいつも『魂の殺人』がテンポラリファイルとして置かれていたように思うのだが、再読してみたら、まるで新しい本に出会ったかのような気分で読み直してしまった。また、受けた印象もまるで変わっている。ありていに言うと、以前のわたしは「いかにすれば自分が殺人鬼にならずに済むのか?」という部分ばかり探しておいかけ、熱中し、そしてその道を探っていた。
ところが今回は、知らない名前が登場すると(欧米では著名人なのだろうが、日本人のわたしにはまったく耳にしたことの名前が頻出する。歴史オタクでもミリタリーオタクでもないわたしには、どういう人物なのかさっぱりわからない。だから訳者に『少しは補足しろよ!』と抗議したいほどである)グーグルで検索をかけ、調べたりするような、少し距離を置いた客観的な読み方ができるようになっていた。以前はそのへん、まったく気にせず読み飛ばしていたと記憶しているのだが。
また、調べてわかった登場する人物、たとえばルドルフ・ホェス(ホェスは、アウシュビッツの収容所の所長)などの心境を察してしまい、涙が溢れそうになるのだ。著書に登場する彼らが、大量のユダヤ人たちを平然と殺した極悪人たちであるにもかかわらず、だ。わたしはここのところ2時間ぐらいしか眠れない日々が続いて眠気を覚ますため豊洲のIBMのビルに入っているタリーズでアイスコーヒーのエノルメ(極大サイズ。これ以上のサイズはない)で目を醒ますよう努めながら読んでいたのだが、人目があるにもかかわらず止まらない涙に困惑したのだ。
それでは次回は、カタリーナ・ルーチュキイが名づけたところの『闇教育』についてかいつまんで触れていこうと思う。
つづく
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