次の総選挙では、とにかく各党のマニフェストをじっくり吟味しよう。政策の比較をするためではない。各党の政治に対する態度が、真摯なものか、姑息なものかを見極めるためだ。 そもそもマニフェストとは、政党の選挙宣伝用文書である。当然、得票に結びつかないことは書かれていない。どちらかといえば、人心を掴むための周到な作為が込められていると警戒しながら読むべきものである。 作為がある以上、マニフェストを読めば政策本位の政治選択ができる、などと安直に信じるのはどうかと思う。だが、それでも、この宣伝文書が重要な判断材料になることには変わりはない。各党の政治的センスや政治的誠実さを感じ取ることができるからだ。 マニフェストが必ずしも政策本位の文書と言えないことは、この導入を提唱した民主党の「政権公約」を見れば明らかである。二〇〇七年(平成一九年)の参院選用のマニフェストが手元にあれば、ぜひもう一度見てほしい。 表紙には、小沢代表の大きな顔写真が載っている。政策論集だったら、政策のキャッチフレーズのほうが党首の写真より目立つべきだが、各党ともそうなのだから、とりあえず良しとしよう。 驚くべきは、ページをめくると、そこにもまた小沢代表の大きな顔写真が出てくることである。横には小沢代表からのメッセージがあるが、言葉の数はそう多くない。しかも、その次の見開きでも、またその次でも、全ページ大の写真とちょっとしたメッセージというパターンが繰り返されている。表紙も入れると、最初の七ページのうち四ページは小沢代表の写真である。これではまるで小沢一郎写真集だ。 もういいかげんに政策論に移るかと思うと、次は「政治家・小沢一郎の歴史」である。初当選のときの写真や、なぜか自民党幹事長時代に選挙に勝って拍手している写真も載っている。愛犬チビも「自慢の烏骨鶏」も登場する。 言うまでもないことだが、政党の出す「政権公約」は党首個人の私信ではない。しかも参院選は総理大臣を選ぶ選挙ではない。 にもかかわらず、民主党は、マニフェストの冒頭で小沢個人を強調した。「もう一度政権交代をしてみたい」という小沢代表の野望を前面に押し出した。私は、マニフェストを提唱した民主党が、それを「政策は二の次」の政治宣伝文書に変えてしまったことをじつに残念に思っている。
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