学歴を身につけるということは、「お得な人生を歩める」ということと同義である。日本社会に確固として存在していたこの共通認識は、すでに過去のものとなろうとしている。 学歴構造の頂点に位置する大学院博士課程を修了した「博士」たちの多くが、ワーキングプアとして生活せざるを得ない。これが現代の日本社会における現実なのである。 我が国では、正規雇用に就けない博士修了者(ノラ博士)が、毎年、四〇〇〇人以上も出続けている。彼らは生活のために、コンビニの店員や塾講師といった非正規雇用者として、研究とは全く関係のない仕事で、年収二〇〇万円程の困窮生活を強いられている。 若手博士たちは、東大や京大といった一流大学出身である場合が少なくない。難関大学の入試を突破し最高学府まで到達した者たちが、ワーキングプアへと転落していくというこの現実は、学歴信仰がまだまだ幅をきかす我が国において、およそ考えられない事態であるに違いない。 無職博士が大量生産されている直接的原因としては、大学院重点化政策という失政があげられる。 欧米に伍するという大義を掲げ、「博士」の増産を国策として実施した結果、大量の高度職業人が生まれ、高学歴人材の供給力は、急激にアップしていった。一方、社会のなかに、増えた博士たちを活かすために必要な、新たな需要を喚起する仕組みは、作られることがないままに終わった。 高度な能力を有する「博士人材」をめぐる需給バランスの崩壊。これが、あぶれる博士を生産し続けている直接的な理由だ。 だが、博士問題を引き起こした根本的原因は、実は他にある。大学院重点化計画のスタートは、少子化による大学受験者数の減少を目前に控えた一九九一年(平成三年)であった。九三年に進学者のピークを迎えると、大学や短大への入学者は危惧された通りに減少していくこととなる。その数は、二〇〇四年までの推移で約九万人。 しかし、同時期における大学院生数を見ると、一四万人も増加していることがわかるから驚きだ。先の減少分を軽く吸収し、少子化という冬の時代にもかかわらず、高等教育業界は、不思議にも成長を維持できているわけなのだ。減少した学部生以上に、増加した大学院生数。これは単なる偶然だろうか。 政策課題として大増員となった院生は、二〇年前の七万人から一挙に二六万人余りまで膨れあがった。すでに、旧帝大を中心とした研究大学の多くでは、大学院生が学部生を上回る。 作為的に行われる院生増産の陰には、縮小必至な高等教育業界を、いかにして維持していくかという策謀の影がちらつくのである。
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