■婚活詐欺殺人か?
1月10日から、さいたま地裁で、10件の事件で起訴された木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判が始まった。10件の内訳は殺人3件、詐欺2件、詐欺未遂2件、窃盗1件で、被害者は8人に及ぶ。被告はこのうち2008年の詐欺2件(大学に通っていないのに学費が必要だといって、2人から計300万円ほど騙し取った)については認めたが、2009年に起きた残りの8件についてはすべて否認した。
裁判員の任期は、制度開始以来、もっとも長い100日間(実際の公判は34日間で、2カ月にわたって週4回程度開かれる)で、辞退者が続出した。証人が63人に上る大がかりな裁判になったのは、これらの事件を一括審議する必要があるのと、3件の殺人がいずれも状況証拠しかないという特異な事情がある。しかも今回は被告が全面的に戦う姿勢を明らかにしていることもあって、和歌山毒物カレー事件のような困難な裁判になることが予想される。殺人と認定されれば死刑が求刑される公算が大きく、裁判員には、長期的拘束に加えて心理的プレッシャーも大きい。
審議される殺人は次の3件である。
(1)2009年1月 東京都青梅市の寺田隆夫さん(当時53歳)
すでに自殺として処理されている、練炭による中毒死事件。木嶋被告と交際中、1700万円を渡したとされる。
(2)2009年5月 千葉県野田市の安藤建三さん(当時80歳)
練炭による中毒、および自宅の火災によって焼死した事件。木嶋被告が介護ヘルパーのように自宅に出入りし、火災当日、口座から180万円を引き出している。
(3)2009年8月 東京都千代田区の大出嘉之さん(当時41歳)
埼玉県富士見市の駐車場に停めたレンタカーの後部座席で、練炭による中毒死した事件。木嶋被告と交際中に、470万円を渡したとされる。
前述の(1)よりさかのぼる1年半前、警察が木嶋被告に目をつけた事件があった。2007年8月、被告のパトロンであった千葉県松戸市リサイクル店経営者(70)が自室のベッドで死亡、被告はこの経営者から7000万円もの大金を受け取っていたというのである。捜査関係者によれば、このあと木嶋被告は、いったん身についた贅沢な暮らしがやめられず、次なる標的を求めて婚活サイトに登録し、結婚をえさに男性たちから金を引き出しては、それが行き詰まると、睡眠薬と練炭を使って殺害することを繰り返していたという。被告は北海道の富裕な家の出身であり、自身のブログで紹介していた優雅な暮らしぶりも、それなりに板についたものだった。
被告が最初の殺人容疑((3)の大出さん事件)で逮捕されたのは2010年2月だが、すでに前年9月に詐欺容疑で逮捕されていた。その頃、被告の周辺で複数の男性が不審死していることは捜査関係者の間では知られており、警察は、まず詐欺で身柄を拘束、詐欺や詐欺未遂など6回も逮捕を重ねながら捜査を進め、本命の殺人で逮捕に踏み切った。ただし、松戸市の経営者の死については、練炭は使われておらず、死因は病死と判断された。また、本人の口座に多額の金が手付かずに残っていたことから、立件は見送られることになった。
初公判で、被告は「結婚のことを考えてお付き合いしていたことはうそではありません」と、結婚詐欺を明確に否定した。たしかに婚活中であれば、何人もの男性と並行して付き合っていても不思議はないし、じっさい被告は被害者たちに手のこんだ料理をふるまうなど、総じて面倒見はよかった。詐欺罪の中でも結婚詐欺は立証が困難といわれる。恋愛関係にある男女の一方が、もう一方から大金を貢がれ、破局したあと金銭を返さなかったからといって、金品を詐取する目的でそれを計画的におこなったと証明するのはむずかしいからである。
■決め手を欠く検察側
被告が3人の男性に危害を加えたという直接の物証はない。(1)の寺田さんの事件では、被害者は解剖されず荼毘に付された。変死体の場合、警察が事件性なしと判断しても、監察医の判断で行政解剖がおこなわれることがあるが、事件が起きた青梅市では、地元の開業医が立会っただけで、事件性はないと判断された。被害者が生前、木嶋被告に1700万円を渡していたことが明らかになったのは後日のことである。
(2)の安藤さんの事件では、火災当日の午前中に安藤家に出入りしていたヘルパーとして、警察が木嶋被告に事情を聞いている。被告はその日のことを自分のブログに「サスペンスドラマのような一日だった」と記しているが、当日、安藤さんのキャッシュカードで現金180万円を下ろしたことは取調べでいわなかった。のちにATMの監視カメラに木嶋被告が映っていることを警察に追及されると、「当日は、安藤さんの年金がまとまって入る予定の日だというので、安藤さんに貸してあった100万円を返してもらう約束でカードを預かった」と主張した。
被告にもっとも不利なのは、(3)の大出さんの事件である。練炭自殺にしては、車内にマッチ箱や車のキーがなかった点が、他殺を疑わせる根拠となった。被告は取調べで、駐車場まで一緒に行ったことは認めた。さらに、別れ話がもとでケンカしたので一人で帰ってきたと主張した。練炭は、被告が豆などを煮るために持っていたのを、大出さんに譲ってくれと頼まれたものだという。
大出さんの遺体が発見されたのは、自宅から遠く離れた埼玉県内の住宅街の月極駐車場で、車は斜めに駐車されていた。弁護側は、練炭自殺を偽装しようとする者が、わざと怪しまれるような停め方をするはずがない、マッチ箱やカギがなかったのは、ただ見つからなかっただけだ、と主張した(鑑識係は当初、車の外にマッチ棒2本が落ちていたことを見逃しており、弁護側はそのことを「調べ方が悪かった」証拠だとした)。
3件の死亡現場にいずれも練炭があったこと、被告が多額の金を被害者から得ていたことを思えば、弁護側の説明はとうてい「合理的」とはいえない。しかし、自白や目撃証言を示すことのできない検察側もまた、決め手に欠ける。
■「状況証拠で有罪」には厳しい条件が
これまでにも、状況証拠だけで争われた裁判員裁判の例はいくつかある。2009年6月、鹿児島市で起きた高齢夫婦殺害事件の場合は、強盗殺人罪で死刑を求刑された被告に対して、無罪判決が言い渡された。事件現場には被告の指紋やDNAが残されていたが、それは被告が現場に行った証拠にはなっても、殺害の証拠にはならない、というのが裁判員の判断だった(被告は現場に行ったことすら否認し、指紋やDNAは捏造されたものだと主張したが、裁判員はそれは認めなかった。被告が面識のない被害者宅に行った理由は不明のまま、判決が出た)。
また、2009年11月、福岡市で不倫相手の男性宅や、男性の妻の車に放火したとして、現住建造物放火などの罪に問われた被告は、一審の裁判員裁判で有罪となったが、2011年11月、控訴審の福岡高裁で、「被告一人だけが犯行可能だったとはいえない」として逆転無罪の判決が言い渡された。
最高裁は2010年4月の「大阪母子殺害事件」の上告審で、状況証拠のみによる有罪認定には「被告が犯人でなければ説明がつかないような事実関係が含まれていることを要する」と述べた。木嶋被告が犯人でなければ説明できない事実がどのくらいあるか――裁判員の判断はその一点にかかっているといってよい。判決は4月13日の予定だ。
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