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「食育」って何だ? 料理ができないわたしを責めないで! その1
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足腰が筋肉痛で、辛い。
わたしはいまから「食育」と料理に関する話をしようと思ってるのだが、なぜ頭に足腰のことを書いたかというと、筋肉痛の原因が料理教室のせいだからなのだ。
メイン料理に副菜2品、そしてデザートの4品、全部を作るのに2時間近く。そのあいだ座るという行為がまったくないので、足の萎えたわたしには辛いんである。あんた、たしか7年か8年ほど前、藤沢市の市民マラソンで5キロ走ったって先々週に書いてなかったっけ、という突っ込みは無視する。この1年半というもの、父か母の病室の枕元でパイプ椅子に座り、パソコンを叩いているだけの生活を送っていたわたしには、2時間ただ立っているというのだけでも辛いのである。料理っつうのは、体力を使うもんだなあ。料理人には圧倒的に男子が多いのも納得する次第である。
わたしが料理教室に入ったのはじつは昨日。で、昨日今日と教室で料理を習って、目の醒めるような瞬間を何度も体験したのである。
いまさらなんでそんなことをおっぱじめたのかというと、いろいろ理由はあるんだけど、『日本の論点 2007』が動機というかプレッシャーのひとつになっているのだ。『食品の裏側』の著者である安部司氏が「食育」について語っている論文が載っているんだけど、そのタイトルがこれまた凄いんである。
『朝ご飯に、たこやきを!? 子供の心を壊した犯人は添加物と料理しない親だ』
わたしは毎週、このウェブの締め切りが近づくと、週にひとつだけでもいいから“時事問題”に強くなろうと思って『日本の論点 2007』をぺらぺらめくる。そのときにこのタイトルが目に飛び込んできたのだった。
暗い、それはそれは暗い気分に陥る。わたしには幸か不幸か子供がいないので、
「犯人はおまえだ!」
と言われても「いやまあ、子供いないですから」と逃げられる余地がないわけじゃないんだけど、こうも聞こえる。
「子供ができたらロクな親になれんな!」
閣下、おっしゃる通りでございます。平にご容赦を。
その場でひれ伏して頭を地面にこすりつけたくなってくる。正直に告白しよう。わたしは料理がとても苦手なんである。肉じゃがレベルからいっこうに抜け出していない。
いまから20年ほど昔のことである。親元を離れて上京したわたしは、部屋でひとり料理雑誌を眺めながら途方に暮れていた。壁にもたれ、
「でじる、ってなんだ?」
とつぶやいた。
でじるカップ1。塩、少々。
でじるって、それ、どこで売ってるんだ。
「出汁」を「でじる」と読んでいたのである。
「塩少々」というのも謎であった。少ない、多い、という表現は、なんらかの比較対象があって成り立つと思うわけだが、「少々」の基準がどこにあるのかがわからない。たとえば琵琶湖に塩をぶち込むとすると、わしづかみにした岩塩を投げ入れても「少々」だろうし、ドラム缶ひとつ分の精製塩をぶちこんだとしても、琵琶湖の果てしない容積を考えれば「少々」だ。
この場合、なにを基本に「少々」と表現しているのか。鍋ひとつのお湯に対して大さじ1杯分ぐらいなのか、小さじ1杯分ぐらいなのか。そこのところがわからない。大さじだろうと小さじだろうと、どちらにしても「少々」といえば「少々」のように感じる。
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