2008.07.31
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
●第163回●
とりあえずビール、という文化
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 自分自身を振り返ってみて、それはわかる気がした。わたしは酒にさほど好き嫌いはないほうなのだけど、どうにも苦手なものにウィスキーがあった。わたしが子どもの頃、昭和四十年代から五十年代にかけて、日本には一度ウィスキーブームのようなものがあったのだけど、その頃流通していたウィスキーというのは国産品で、安価だが質のよくないものが多かった。なので、わたしが初めて口にしたウィスキーも、銘柄は伏せるがその手合いのものだったのだ。1990年以降に酒税法の改正があって、ウィスキーの酒税は下がり、海外から輸入されてくるウィスキーもそれなりに安価で楽しめるようになったのだが、それ以前は、庶民の飲めるウィスキーというのは、実に悲惨だったと言っちゃっていいと思う。
 わたしがウィスキーに対する認識を変えたのは、ほんの数年前のことである。ある編集者にご馳走になることになって、そのとき行った店にマッカランの12年物があった。で、その編集者が、
「マッカランをボトルで取っちゃいましょう。ソーダ割りでいいですかあ?」
と言ったのだった。内心、「うわ、ウィスキーだ。ヤダなー」と思ったんだけど、ご馳走になる身で好き勝手なことが言えるわけはなく、
「はい、それで結構です」
と返事をした。で、いやいや口をつけてみたら、
「あれ? なんかこれ違う」
と思ったのだった。まずくない。てか、うまい? ていうかこれ、わたしが飲んでいた「ウィスキー」と別物な気が。
 大変感動したわたしは翌日すぐにマッカランの12年物を買い求め、父親に、
「これ飲んでみて! うまいんだよ」
と勧め、
「ホントだ、これはうまいぞ、マキコ!」
と喜び合い、ちなみに父はこの数年後に肝臓がんで亡くなったのでわたしが寿命を縮めたことに――という話はまあいい。問題は、わたしがウィスキーに対する認識を改めるまでに、実に二十年以上の月日を要したわけである。人間、最初に味わったものの印象というのは、本当に長く尾を引くのだ。
 それとなくわかっている人もいると思うけど、たしかにわたしが最初にウィスキーを口にしたのは未成年のときである。だから酒の味がわからなかったのじゃないのという突っ込みは当然あると思うが、それならワインも同時に嫌いになっていてもいいはずなのである。ワインに関しては父は北海道から十勝ワインを取り寄せていて(わたしが小学校の頃は、東北で十勝ワインを手に入れるのは至難の業であった)、それがわたしの初めてのワインだったのだが、わたしはワインは嫌いにならなかった。つまり、しつこいようだが、人間最初に口にしたもので好き嫌いの大半というのは決まってしまうものだとわたしは自分を振り返ってそう感じるのである。
 だからクラフトマンの「大手ビール会社は自分の首を絞めている」という言葉は真実だとわたしは思う。いまの若い男の子たちが「とりあえずビール」をやらなくなった理由は、はじめて飲んだ「ビールのようなもの」が発泡酒だったからで、「軟弱」うんぬんというのは、ちょっと外していると感じるのである。
 ビール、美味しいのにね。残念な話である。


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