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重要な分岐点での決断
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キーワード:マンデラ
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世界中のマスコミが報じたなか、アメリカのある新聞に、こんな見出しの記事が出た。 1993年、パレスチナも南アフリカと同様に大きな分岐点を迎えた。それは“オスロ合意”である。ノルウェーのシンクタンクのアイデアにより、ノルウェー政府がイスラエルとパレスチナの仲介をし、アメリカで両者の歴史的な歩み寄りがなされた。それによってアラファト議長と、当時のイスラエルのラビン首相(故人)、そして外相はノーベル平和賞を受賞した。 日本では詳しく出ることはなかったが、オスロ合意はノーベル平和賞を受賞するくらい、パレスチナ問題を解決する大きな手立てだと思われたが、その後、イスラエルでは強硬派のシャロン首相が就任したことにより、アラファト議長は、再びイスラエルと争う姿勢を見せ、それがいまのイスラエルとパレスチナの対立に発展していく。そうしたなかでの、アラファト議長の死だった。 同じように南アフリカでは、アパルトヘイトが撤廃された後、国が荒れた。白人と黒人の対立だ。日本でも南アフリカからのニュースというとテロや紛争といった類いのものしかなかった。だが、それをマンデラ大統領が治めた。マンデラ大統領は、南アフリカの発展のため、白人を許し、黒人とともに一緒に国をつくっていくという決断をした。そして日本では、南アフリカのニュースが流れることがなくなった。地球の反対側である。戦争や紛争といったニュースがないので、日本のマスコミは急速に興味を失っていったのだ。 パレスチナと南アフリカは同じころ、大きな転機を迎えた。マンデラ氏は白人と一緒に生きていく道を選び、アラファト議長はイスラエルと再び対立する道を選んだ。 アパルトヘイト問題と、パレスチナ問題を一緒に論じることはできない。しかし、指導者の決断が、その後の国の運命を大きく左右することを自覚し、日本の政治家も、大切な決断には大きな責任がつきまとうことを念頭に置いて政治を行っていただきたい。
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言葉だけが空回りする「三位一体改革」
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先日、乗車したタクシーの運転手から「先生、最近耳にする三位一体改革とはどういうことですか」と質問された。マスコミで騒がれているから興味を持っていたものの、いまひとつよく分からないという。どうも言葉だけが空回りしているようだ。 三位一体改革は、「地方にできることは地方に」を掲げた小泉首相の構造改革の一環として提唱された。具体的には、補助金削減、地方交付税の見直し、国税から地方税への税源移譲の三つを同時に行い、地方分権や地方自治体の行財政改革を促すというものだ。 そもそも、現在の地方財政は国の援助でもっているようなものだ。地方独自の財源である地方税(住民税や固定資産税、事業税など)では、平均して必要分の四割弱しか得られず、行政のすべてをまかなうことはできない。 これまで国から与えられてきた財源が国庫支出金と地方交付税だ。他に地方譲与税や、地方債などで地方財政はまかなわれてきた。 つまり、国が徴収した地方に分配していた税金の一部を、自治体自身が地方税の形で徴収するように改めようというのが国から地方への「税源移譲」である。国家の財政すら厳しい現状で、国はできるだけ地方への負担を減らしたい。また、地方にとっても、国や関係省庁の裁量で決まる国庫支出金がなくなることで、合理的な予算編成ができるというメリットがある。 しかし、政府・与党が決定した三位一体改革の「全体像」について、不満を漏らす自治体は多い。政府は補助金や地方交付税の削減ばかりを強調し、地方側の希望する適切な税源移譲を実現する姿勢を見せなかったからだ。 就任当初、首相が声高に主張した道路公団改革は看板をすげ替えただけのうやむやなものになってしまった。首相はこの「三位一体改革」にどういう決着をつけるのだろう。 |
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