 |
 |
2ちゃんねるとmixi〜須賀川市立第一中学校リンチ事件に考える
|
|
 |
 |
全2ページ |
 |
さきごろ、インターネットでSNS(Social Networking Service)を展開している株式会社mixiが上場して、初日は値がつかないほど株価が高騰して、ちょっとした騒ぎになった。SNSとは、『日本の論点2006』で北田暁大氏が「古くて新しいメディア=ブログとSNSが言語空間を拡大、新化させる」と題して書いているとおり、
「参加者が互いに友人を紹介しあって、新たな友人関係を広げることを目的に解説されたコミュニティ型のWebサイト」のこと。友人からの招待状がなければ会員登録することのできないサービスもあり、友人や知人とのネットワークを広げるツールとして、2003年、2004年頃から人気を集めている
というものだ。
特徴的なのは、匿名性がとても低いことである。本名で登録するのを推奨されていて、かなりの割合の人たちがその通りにしている。2ちゃんねるとmixiはいまの日本の、ネット社会の双璧といってもいいだろう。
わたしも友人の紹介でmixiに招待してもらい、「マイミク」と称される相互承認した「友人」たちから、自分が書いた日記にコメントを貰ったり、友人が書いた日記にコメントしたりして、コミュニケーションを楽しんでいる。このほか、mixiには、同好の士が集うコミュニティがある。だれでもコミュニティを立ち上げることができ、趣旨に賛同した人なら参加できるようになっている。わたしは「中島敦」のコミュニティや(山月記の話ばっかりしている)、「最強伝説黒沢(こういう漫画がある。四十代独身男の話だ)」のコミュニティに参加してメンバー感で会話を楽しんでいるのだが、あるとき、癌患者とその家族のためのミュニティで、「UDに参加しませんか」と呼びかけたことがある。UDというのは自分のマシンを癌の遺伝子解析などに使ってもらうボランティアで、マシンを常時接続にしておくだけで、この研究に奉仕できる。ところが、である。賛同者はいくら待ってもひとりも現れなかったのだ。2ちゃんねるの自作PC板は、この賛同者たちであふれているというのに、である。
わたしはこのとき、2ちゃんねるという掲示板の、懐の深さを見た思いがした。なぜ、みなが2ちゃんねるに惹きつけられるのか。いくらSNSが流行ろうとも、2ちゃんねるはあいかわらずの存在感を示すのか。その理由は、各方面からさんざん叩かれる原因となった「匿名性」にあるのだとわたしは思う。
ネットという場は、他人からの賞賛、承認を求める人にとって、居心地のいい場である。とにもかくにもサイトのひとつも作れば、一応は「世界にむかって」発信できる場なのだから。
そんな「承認ばかりを求める人たち」のなかにあって、2ちゃんねるは、ほぼすべての住人が「名なし(注・コテハンといって、自分固有の名前を名乗ることもできるが、コテハンは十中八九、住人たちから嫌われる)」であることにより、個人の功績が自分自身に帰することを放棄しているのである。鶴を折る2ちゃんねらたちは、個人の名誉のために鶴を折っているのではない。ただ、祈るような気持ちを、鶴に託しているだけなのだ。
聖書には、
「右手のしたことを左手に知らせるな」
という言葉があるが、まさにこの精神である。2ちゃんねるには、吐き気がするほど汚れた部分と、泣きたいほど美しい部分が、共存している。まるで人間そのものではないか。
わたしはmixiが好きだ。顔見知りの友人とのコミュニケーションが深まる気がするので。けれど、2ちゃんねるは、もっと好きかもしれない。自分の名前でスレッドが立って書きたい放題書かれると、2ちゃんなんて嫌いだと泣きたくなるけど、やっぱり好きなのだ。汚さも美しさも、同時に存在する場であるから、好きなのだ。
ところで最後になるが、前半部分の情報は、テレビ朝日のスーパーモーニングや新聞報道などを参照にて匿名の2ちゃんねらによって作られた、まとめサイトをかなり参考にいたしました(前半はほとんど引き写しじゃねえか、ゴルァというお叱り、甘んじてうけます)。著作権とかそのへんの問題ってどうなのだろうと躊躇しないでもなかったけれど、まずはこの問題をより多くの人に知ってもらうのが、わたしでもできる唯一のことではないかと思ったので、今回このような形になりましたこと、どうかお許しください。
少女の快復を、心より祈念いたします。
*山崎マキコ最新刊『東京負け犬狂詩曲』(JTBパブリッシング)絶賛発売中!
|
|

|