2005.03.24
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
合併特例債と矢祭町頑張れ その1
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 わたしは田舎の女子校出身である。
 なので、週明けになると、よくこんな話で級友たちは盛り上がった。
「うちの庭先に干しておいたトウモロコシが熊に食われた!」
「こっちなんてイノシシが車の下に入った!」
 なんで必ず週明けなのかというと、周辺の自治体に実家のある子たちが、週末になると下宿先から地元に帰省して、また学校に戻ってくるからである。田舎の交通機関の不便さを甘くみちゃいけない。
 こないだもなんとなくテレビを見ていたら、豪雪のせいでどこぞのローカル線が、3カ月運転停止なんてことになっていた。3カ月も学校に通えなかったら落第してしまう。だからみんな、下宿して学校に通う。
 話は少しズレるが、この学校に入学して最初にショックを受けたのが、
「山ひとつ越えると、同じ東北といえども相手の訛りがヒアリングできない」
という事実であった。ホント、聞き取れないんだって。山ひとつ越えただけで全然違うの、方言が。最初の三カ月は、あんまり相手の言葉を聞き返すので、よくムッとされたもんだ。でも仕方ない。同じ日本語とは思えないほどアクセントが違うんだから。
 で、なんでイノシシと熊の話になるかというと、この山脈の違いというのがポイントで、熊とイノシシというのは「棲み分け」というのをする。生物で習ったでしょ? 棲み分け。大型動物が互いの領域を荒らさないように、棲み分けするって話ですよ。なので熊文化圏とイノシシ文化圏が、
「自分とこのほうがもっとワイルドで、ずっとサバイバル」
 ということを自慢しあうわけです。いま思うと、すごくどうでもいい。
 で、こうした周辺自治体のひとつに「矢祭町(やまつりちょう)」というのがあった。
 矢祭町はイノシシ文化圏で、わたしのクラスメートにもひとりここの出身者がいたが、実家は材木屋であった。だから矢祭町には林業ぐらいしか産業らしい産業はなかったんじゃないかな。と、書いてからやや不安になったので、いま「矢祭町」の公式サイトをみてきたら、もうちょっとあった。特産品は、「こんにゃく」。肥えた土地では絶対作らないアレだ。
 で、高校2年の秋だったと思うんだけど、一家で矢祭町に紅葉狩りに行こうという話になった。なんでそんな話になったのかはさっぱり憶えてない。車で揺られること2時間ばかり、ようやく矢祭町についたころには、腹が減っていた。どこか飯が食えるところはないかと探したが、ない。
 ようやく1軒だけそれらしい店がみつかったので、入った。
 店に入ると、およそ50名ほどの客が座敷に座っていて、そのあいだを餓鬼んちょがギャーギャー叫びながら走り回っていた。畳はすりきれてボロボロで、元農家であったらしく、玄関先は土間だった。何年前のかわからない少年ジャンプが数冊置いてあったんだけど、餓鬼んちょに読みまわされすぎたらしくて、ボロボロにすりきれて分解していた。あんまり暇なので「こち亀」だけでも読もうと思ったけど、数ページが失せていて、話が全然わからなかった。
 とりえあず、注文して40分待った。
 周囲でだれも食事らしいものをとってないのが気になった。
 一家でささやきあった。
「どうなってるんだろう?」
 まわりはビールだけ飲んで、けっこう楽しく盛り上がっているわけだが、とにかく飯らしい飯が出てきている雰囲気がない。
 やがて、まかないのおばちゃんが、炭を起こし始めた。
 ここで激しく不安になった。
 いまから炭を起こす?
 父が母に言った。
「おい、俺たちの食事はどうなってるか、聞いてこいよ」
 ちなみに店にメニューはなかった。焼き魚定食しか存在しないのだ。
 母が炭を起こしているおばちゃんに、おそるおそる尋ねた。
「あのう、注文してからそろそろ1時間ぐらいになるんですが」
 するとおばちゃんは、明るく答えた。
「うん! いまね、うちの人が下の川に釣りに行ってっから。もうすぐ釣れるんじゃないかと思う」
 下ごしらえどこか、材料もまだ入手していなかったのか!

 採集生活。

 社会科の教科書で見た、縄文人の絵が脳裏にぽこっと浮かんだ。
 ここにいる全員は、この店のご主人が採集してくるのを、酒飲んで待っていたんだという事実が判明した。
 都会に来てこの話をすると、ほとんどの人が、
「冗談でしょ?」
というんだけど、マジだ。嘘偽りなく、マジだ。みんな、これが「地方自治体」に住む人間の、赤裸々な日常なんだ。わかれ!



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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