2006.03.30
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
報道されない癌治療 さらにその後 その1
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 今年最初に見た桜は、東京・江東区にある癌研病院の中庭だった。
 去年の秋、この「時事音痴」のコーナーで「報道されない癌治療」という話を書かせてもらったが、実はその後も、わたしは癌研と縁の切れない生活を送っていた。
 癌研に最初に行ったのは夏の終りだった。秋になると中庭に萩の花が咲き、そして冬が来て、ついに春を迎えてしまったのである。
 いい加減、うんざりだけど、しかたない。
 去年の秋、母の入院があらかた落ち着いたあと、
「家族の健康週間を作ろう」
と思い立って、まずはなにより心配な父を病院に行かせた。健康であることを証明してもらって、安心しようと思ったのだ。
 ところが、である。
 なんと検査で、父にも癌があることが発覚してしまったのだ。肝臓に4ミリ大。この程度の大きさではまったく自覚症状は、ない。父はもりもりよく喰らい、よく酒を飲み、まるまると太って、宝船に乗っている七福神のひとり、福禄寿のような福々しい顔をしていた。
 世には「癌になると痩せる」という思い込みが流布しているけど、癌研に来てみればわかる。よーく肥えた癌患者が、いっぱいいるのを。痩せてないから癌じゃないと思い込むのは、大変危険だ。自覚症状がなくても検査は受けよう。可能なら、昨今はPET(陽電子放射断層撮影)といって、極小の癌も発見できる検査があるから、それをやってもらえばベストである。ちなみにこの検査、がん細胞が正常細胞の3〜8倍ものブドウ糖を摂取するという性質を利用したもので、薬剤を注射したら、あとは機械で撮影するだけ。着衣でオーケー、身体的な負担がすごく少ないのだ。ただ、ちょっとお高いんですがね。(癌研の“PET・女性総合コース”(2日間ドック)は¥188,000。やってみたいけど金額が壁だ)。
 さて癌がみつかって。
 『日本の論点 2006』にも、タレントの大橋巨泉さんが「週刊現代」で語った癌体験の話が転載されていて、医師がこともなげに、
「ええ、リッパな癌です」
と告知をする場面が載っているが、いまの癌治療というのは、ほとんど告知から始まる。患者の情報は患者のものという考えがベースにあるから、わたしといっしょに診察室に入った父に待っていたのも、
「肝臓に4ミリ大の癌がありますね!」
という告知であった。親切にも、CTで撮った癌の画像も見せてくれた。そして
「切除しましょう」
と、こともなげに、医師はいった。
 癌研のマークは「蟹」。英語の「癌」(cancer)と星雲でいう「蟹座」(cancer)が同じ発音だかららしい(もともとは癌のまわりの血管が蟹座に似ていたかららしい)
「なんでもチョキチョキ切っちゃうよー」
という意思も表明してんでないかと思うくらい、チョキチョキするのにためらいがない。
 ちなみにこの「チョキチョキ」という表現であるが、癌研に父が入院してるときに、立場はよくわからないんだけど、とにかく偉そうな先生が回診でまわってきて、これから手術だ、と不安がってる患者さんにむかって、
「大丈夫、チョキチョキしちゃいましょう、うん。チョキチョキね!」
と笑っていうのが耳に残っていたのである。
 以前の「報道されない癌治療」の回で、わたしの主張であるところの「いまや癌は初期に叩けば治る病気だから積極的に治療しよう」というのはいい尽くしている。しかしなんでまたもや癌治療の話をするかといえば、今度は父という人の治療に立ち会ったことで、
「男って、こういう局面に、すっごい、弱い」
と思い知ったからである。これ、おもに男の人にむけて書いてます。で、たぶん、論点の読者って比率からいうと男性が多いと思うんだよね。
 癌といわれて、より動揺するのは、女より男!
 これ、わたしの実感である。
 癌告知時代の心構えを、男性にも身につけて欲しい。わたしは心からそう思っている。
 さて、診察室を出て。切れたら癌は、ほぼ勝利というのが母のときにすでにわかっていたことなんで、わたしは父に、
「よかったねえ、切除できるんだって」
といった。しかもまだ4センチしかないから、かなり初期である。肝臓というのは三分の二ぐらいまで切除できるらしいんだけど、父の場合は、
「ま、六分の一も切除すればオーケーかな」
ということで、手術としてもそうたいしたことのない部類だという、医師の雰囲気であった。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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