2006.05.12
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
わかります和田先生、相続税100%を唱える気持ち その1
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 伯母が入院したのは、母の病室のちょうど真上だった。付き添ってきた次男はあっという間に姿を消して、部屋には伯母だけが残された。伯母は母の手をとって、
「幸子さん、いつまでこの病院にいられるの?」
と尋ねた。
「あさってには退院なのよ、お義姉さん」
「そう、そうなの――あさって。幸子さん、わたし、心細い。息子も帰ってしまったし。わたし、どうして癌研に入院させられたのかしら。心細いわ」
 母とふたりで伯母を励まし、病室を出た。
 その後10日間ほど、わたしはこの伯母のことを忘れていた。なにぶん自分の母の退院やらなにやらで手いっぱいだったし、母を地元に送り返してからは、仕事のほうに忙殺されたので。次男である従兄弟から電話がかかってきたのは、そんな折のことであった。
「マキちゃん、手が空いたときでいいから、癌研に顔を出してみてくれないかなあ。僕はちょっと、忙しくて」
 なんだそりゃ、と、内心思った。というのも、この従兄弟は、数年前に社内で不祥事をやらかしたカドでクビになり、つまり現在、無職だったからである。
 なんで忙しいんだ、無職のアンタが。
 親の介護ぐらい、自分でやれ。
 正直、そう思ったが、黙っていた。でも言われたら気になるので、自転車を飛ばして伯母の様子を見に行った。
 すると伯母は、わたしを見るなり手をとって、ほろほろと涙を流した。どうも話を聞いてみると、入院して10日のあいだ、だれも伯母の様子を見に来るものもなく、たったひとりで癌研に置き去りにされていたようなのだ。
 いくら完全介護だとはいえ、それはないだろう?
 それに、10日のあいだに、土日もあった。
 愕然とした。この家はいったい、どうなっているのだ。
 わたしはたしかにフリーランスだから時間の都合をつけるのには他人より分がある。しかし土日というのは、どんな患者にも誰かしらの見舞い客がやってきて、患者を励ましていくものだ。高齢者が多いので、孫までやってきて病室をにぎやかにする。うまくはいえないのだが、これは案外、重要なことだとわたしは感じている。だれにも顧みられずに病院にいる切なさ。
 ましてや場所は癌研である。たしかに癌は初期に叩けばそうは恐ろしい病気でなくなりつつあるし、入院していく患者のうち大半は元気になって出て行くものだ。とはいえ、12階には緩和ケア病棟があり、苦痛を取り除きながら最後の日々を送る患者もいる。つねに不安とは隣り合わせだ。周囲の支えなく癌と戦うのは、よほど強靭な精神の持ち主でもつらい試練だろう。
 すっかり痩せてしまった伯母が手を伸ばした。
 この手を掴んだら、きっと振り払えない。
 そうは思ったが、わたしは手を握って言った。
「伯母ちゃん、大丈夫。これからはわたしが来る。いままでひとりにしてごめん」
 伯母は、泣きながらわたしの手をぎゅっと握った。

つづく


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