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シリーズ 人事はこんなに難しい パナソニックの場合 最終回
痛恨の大失敗、それは中村邦夫の社長就任だった
岩瀬達哉(ジャーナリスト)
■左遷人事からの復権 ■徹底的に媚を売る
■「V字回復」というけれど ■トップの仕事とは何か
パナソニックの社長人事は、グループ33万人の命運を左右する。創業者が一線を退いた後に生じた「人事の歪み」は、社長交代のたびに悪化し、最後に破綻した。企業の命は人。だからこそ人事は難しい。

左遷人事からの復権
 パナソニックの6代目社長に就任した中村邦夫は、2000年7月4日、大阪・門真市の本社講堂に経営幹部を集め、社長として最初の経営責任者会議を開いた。

 その冒頭、中村は、前任者で5代目社長の森下洋一新会長の経営手腕を絶賛した。

「森下会長は、社長在任中の7年間、経営環境が未曾有のスピードで変化していく中で、常に『創造と挑戦』を全社員に呼びかけ、絶えざる改革を進めてこられました。(中略)そして事業構造改革を着実に推し進め、質の全体最適を追求してこられました。そして、筋肉質の経営体質への転換を実現し、企業価値を高めてこられたのです」

 スピーチの終わりを、中村はこう呼びかけて締めくくった。

「ここで森下会長に対し、感謝の気持ちを込めて全員で盛大な拍手をお贈りしたいと思います」

 万雷の拍手とともに、森下の晴れがましい笑みが浮かんでくるようだ。しかしこの時点で中村は、その森下から大変な重荷を背負わされたことに頭を悩ませていた。すでにパナソニックの経営状態は、森下時代の事業の無理がたたって、危険水域に深く入り込んでいたのである。

 しかしそんな煩わしい現実も、この日ばかりは忘れることができたのだろう。なにせ、森下の前任社長だった谷井昭雄からは評価されず、その側近たちからも「いずれ常務で引いてもらえばいい」と軽視されてきた中村にとって、全世界に33万人を擁するパナソニック・グループの頂点に立てたという感慨は、余りある満足感を与えたはずだからだ。

 日本経済新聞の論説副主幹兼産業部編集委員だった森一夫から受けたインタビューでも中村は、個人的に森下から支えられたとして、次のエピソードを披露した。

「『(アメリカ勤務時代、私が最も信頼していた部下に)裏切られたのです。わからなかったのですが、不正をされて、税務署の調査が入り、最終的には刑事事件に発展しました。立場上、私は責任を取らなければならなくなりました』

 このとき、まだ家電担当の専務だった森下から電話が入った。『中村君、心配しないで帰って来い』」(森一夫著『中村邦夫「幸之助神話」を壊した男』)

 しかし中村は、帰国せず、パナソニックの子会社アメリカ松下から、同孫会社のイギリス松下への左遷人事を受け入れた。そして森下が'93年2月に社長に昇格するや、中村もまた本社取締役に返り咲いたとある。

 この一連の人事と、先のエピソードを重ね合わせれば、一度は潰されそうになった中村に手を差し伸べ、引き立ててくれた森下の存在が印象づけられる。











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