慶応に大きく差をつけられて
早稲田のライバルは明治になったのか
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■なぜこんな中途半端な大学になったのか |
■昔はあんなに自由だったのに |
■早稲田の大物OBが嘆く「こんな学校じゃなかった」 |
■総理もたくさん出してるが |
■大学は一旗揚げる場所だ |
■グングン伸びる明治の実力 こんなにすごい |
■スター教授が揃っている |
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「早慶両方受かったら慶応」はまだわかる。だが「早明両方受かったら明治」もありえない話ではなくなってきたとしたら……。慶応に水を開けられ、明治と鎬しのぎを削り始めた早稲田の現況をレポート |
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早稲田大学文学部の3年生が言う。
「先日、あるIT系企業の面接で40代半ばくらいの面接官に、『君、早稲田なんだ。じゃあお酒飲むんでしょ? 馬場(高田馬場)で酔い潰れてたんだ? わっしょい(早稲田の名物的な安居酒屋)行って?』とまくし立てられてびっくりしました。どうやら早稲田のOBだったみたいです。
早稲田生っていうと高田馬場の安居酒屋で朝までだらだら飲んで、神田川近くのオンボロ下宿で夕方まで寝ていて、授業なんて出席もしないで雀荘に繰り出す、とかそういうイメージみたいですけど、そんなの昔の話ですよ。
僕はそんな居酒屋行ったことないですし、飲み会も月に1〜2回くらい。たいていみんな終電で帰りますし、僕のいたマスコミ系のサークルでは、2年前にアフターの飲み会がなくなったくらいです。麻雀はやったことがないので、ルールもわかりません。
それにそんな無駄なことするくらいなら、企業の就職セミナーを一つでも多く回ったほうがいい。フェイスブックやツイッターで友達の動きはチェックしていますが、周りもみんなそういう感じです」
こうした現役生が増えているからだろう、最近、どの企業でも早稲田OBはこう口を揃えるようになった。
「いまの早稲田生はつまらない」
曰く、遊ばなくなった、酒を飲まなくなった、麻雀をしなくなった……。元内閣総理大臣・森喜朗氏('60年、第二商学部卒・75歳)は、何より問題なのは、「志の低さ」だと嘆く。
「いまの早稲田生に問いたいのは『東大には入れなかったけど、早稲田に行けば就職はなんとかなるだろう』という思いで来たんじゃないのか、ということ。そんな思いだから早稲田という大学の資質が問われるようになったんだと思います。本来、大学は就職のために行くものではなく、人間開発の場なんです。
私は、ラグビーに人生をかけてやってきました。勝つことも大事ですが、それ以上に汗と涙を流しながら競技に打ち込む過程が人間を大きくする。ラグビーを通して得たものはいまも私の財産です。
いまの学生は就職のためだけに大学を選んでいる。学生だけでなく、その親も、高校で教えている教師もそう。だから私学は『就職のための大学』になってしまうんです」
しかし、先の現役学生の言い分はこうだ。
「そういうあんたがウチの大学の評判を落としたんだろ! という感じです。そもそも遊んでいて就職できた時代はもう終わったんです。僕らにとって、OBのオジさん方が言う『古き良き早稲田』のイメージは迷惑でしかない」
他大学に類を見ない「ジェネレーションギャップ」――それこそが、現在の早稲田の苦境を象徴していると言えるだろう。
そもそも「古き良き早稲田」とはどういう学校だったか。
まず自由さ。誰も授業など出なかった。授業の出席率があまりに低く、教授側もそれを見越して教室を用意するため、全員が出席すると教室に入りきらないというのは有名過ぎる話。
一方で、タモリ、北大路欣也、そして吉永小百合など、多くの俳優やタレントを輩出してきた「文化の香り」があった。こうした人々の多くは、授業を夜間に行う第二文学部出身。「夜間部」は早稲田の最大の魅力のひとつであり、優位性であった。
しかしある頃から、早稲田は慶応に勝てなくなった。『慶應の人脈力』などの著書があるジャーナリストの國貞文隆氏は言う。
「'90年代からの日本を襲ったデフレ不況の影響で、若者も多くが『安定』を求めるようになりました。一番大きな変化は地方の受験生が、東京の大学を目指さなくなったことです。田舎者の憧れとして、多くの地方出身者を受け入れていた早稲田は、都市部での人集めを求められるようになりました。
一方で、元から都市部の学生が多く、日本最強のOB会『三田会』を背景に、企業エリート養成学校として高い就職率を維持してきた慶応の人気は揺るがなかった」
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