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Top > 特集記事 > 社会 > 2013.4.8
週現スペシャル 誰よりも頭がいい、そう信じていたが、上には上がいた
「天才」と呼ばれた人が、本物の「天才」に出会ったとき
■大学に入って分かった「オレは大したことない」 ■バカと天才は紙一重
■思考がジャンプする ■ヤバイくらい頭がいいヤツに会って
■超人的な集中力の持ち主 ■天才さんたちの登場です
■どんどん神の領域へ近づく  
人間は、己を超える圧倒的な才能と出会ったとき、自己を客観視して成長する。「天才」たちにも若き日の敗北体験があり、それを乗り越えたからこそ今がある。
第1部 ――理系篇 名門高校の神童? 東大理III? それがどうした
大学に入って分かった「オレは大したことない」

 世の中には「天才」と呼ばれる人たちがいる。私立灘高校から東大数学科に進み、現在はエコール・ポリテクニーク(フランスの理工系大学のトップでカルロス・ゴーンの母校)の助教授を務める郡山幸雄(38歳)もその一人だろう。

 郡山にとって、東大入試は「朝起きて歯を磨く」程度の、緊張感のないイベントだった。

「数学で6問(120点満点)中4〜5問は確実に解けるので、それだけで他の受験生に50点近く差をつけられる。合格最低点が300点ちょっとの試験だから、他の科目で少々失敗しても、落ちる可能性は100%なかったんです」

 今年も東大理III(定員約100名)に27名の合格者を送り込んだ灘高は、全国で最も数学のレベルが高い進学校として知られる。だが、その灘高でも、郡山の数学の力は別格だった。

「まんべんなく勉強して通信簿がオール10の同級生がいて、周囲に『すごい』とか言われてたけど、僕はそうは思わなかった。コツコツ暗記して点数を上げることに興味が持てなかったんですね。それより、『いかに物語性のある解き方で数学の難問を解くか』を考えるのが好きだった。

 正直言って、灘高では、こいつにはかなわないと思う同級生は一人もいませんでした」

 数学では誰にも負けない、もっと言えば「次元が違う」とわかっていたからこその自信だった。「あの頃の僕は傲慢でしたね」と郡山は振り返って言う。

 高校1年の冬、郡山は数学オリンピックの日本大会に初めて参加する。50倍以上の予選をくぐり抜けて20名の「日本代表候補」に入り、6名の日本代表を選ぶための合宿に参加した。そして、その合宿で、郡山は劇的な体験をすることになる。

「生まれて初めて、『こいつには勝てない』と思う人間に出会いました。数学オリンピックは受験数学とは違って、見たことのない問題にどうアタックするかの世界なんですが、僕が手も足も出ない整数論の問題を、パッパッといろんなアイデアを出して解くやつがいた」

 凡人には理解できない領域だが、数学はあるレベルを超えると「見える」「見えない」という表現で語られる。日本人が日本語の文章を読んで「文法が正しいかどうか」を判断するのと同じ感覚で、彼らには数式の正誤が「見える」という。

「その意味では、16歳の僕に『見えない』世界が、確実に『見えている』奴がいることに衝撃を受けたんです。その時の気持ちは、負けた悔しさと、『こんなすごいやつがいるんだ』という感動の半々でした」

 なかでも際立っていたのが、筑波大附属駒場高校から来ていた、郡山と同じ高校1年生の児玉大樹ひろきだった。児玉は解法のアイデアの豊富さから、合宿では「魔法使い」というあだ名で呼ばれていた。

「それまで誰にも負けたことがなかったのに、児玉との歴然たる差を突きつけられた。敗北を認めるという意味では、あれが人生で初めての『挫折』でした」

 合宿の結果、郡山は最終6名の選から漏れ、児玉は残った。そして児玉はスウェーデンで開かれた第32回数学オリンピックで、銀メダル(上位4分の1)を獲得、さらに翌年のモスクワ大会で、日本人初となる金メダル(上位12分の1)受賞者となるのだった。

 2年後――。前述のように「当たり前に」東大に合格した郡山は、そこで児玉と再会し、ともに東大数学科に進むことになる。

「東大数学科でも児玉は別格で、学部時代(3〜4年)の成績がオール優だったと思う。それはもう、普通に勉強するだけでは不可能な領域で、やはり勝てないと改めて思いました。二十歳で2度目の敗北を味わったわけです」

 だが結果的に、児玉との再会が郡山の生きる道を決めることになる。

「ああ、俺は別のことをやろう、と。つまり、純粋数学の研究者として児玉のような大天才と競う道ではなく、自分の得意分野を伸ばそうと決意したんです」

 郡山にとってそれは、社会と交わって生きる、ということだった。大学1〜2年時に小学生向けの算数の参考書を出版し、3〜4年時には塾を作ってカリキュラムを組んだ。世間と接点を持つことに関しては、数学の大天才たちより自分のほうが秀でていることにも気づいた。

「フランスに留学して経済学に出会い、これだ、と思いました。数学オタクになるんじゃなくて、もっと世の中に貢献できることを勉強しようと思った時、経済学、それもミクロ経済学がピッタリだったんです。

 僕が自分の進む方向性を決められたのは、児玉に会って『勝てない』と気づかされたおかげです。子供の頃から憧れていた数学者になれなかった、それは確かに挫折かもしれない。でもその挫折を学生時代に経験したおかげで、僕はより自分に合った道を見つけられた気がします」











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