GW合併号特別寄稿 なぁなぁでは生きていけない
曽野綾子「どんな手段を使っても生き抜く」そんな覚悟を持ちなさい
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■どんな立派な人でも裏がある |
■インターネットは怖いもの |
■どんな仕事ができますか? |
■人間の「徳」を考える |
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あれも嫌だ、これも嫌だとわがままだけは一丁前の若者たち。暇とカネを持て余して、世の中の役に立たない老人たち。日本という恵まれた環境から放り出されて、やっていくだけの気概はありますか。 |
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どんな立派な人でも裏がある
いまの若者には「好きな仕事に就きたい」「十分な収入が欲しい」という形で夢を追っていつまでも働かず、いざ職に就いてもあっという間に辞めてしまう人が多いと聞きます。
しかし戦後の焼け跡には、浮浪児同然の境遇から這い上がった人々もいたんです。いまも世界には、今日の食べ物のために裸足で働く人々がいます。死に物狂いで打ち込むものも見つけず、かといって、どんな仕事だろうとやってやるという覚悟もなく、贅沢に仕事を選り好みするなどもってのほかです。
私は、小学生のときから作家になろうと思い定めていました。大学生の頃は、毎晩学校から帰ると必ず10枚原稿を書き、2000円の原稿料を貰って同人雑誌を作る費用を工面していたのです。
当時、世間では小説家になるということは身を持ち崩すことと同義でした。ですから、父は私が小説家を目指すことに反対したのですが、私は父に隠れて書いていました。そして、もし一人前になれなければ、肉体労働でも何でもやろうと心に決めていました。いつでも他の仕事に就けるように、月に1回読売新聞を買って、求人欄にくまなく目を通していましたね。読売がいちばん求人広告が多かったんです。
あれも嫌、これも嫌と言うのではなくて、できる範囲のことをやる、必要に迫られて働くという覚悟も、普通、人生には必要なのです。そしてこのことは、若者だけでなく、定年を迎えた大人にも当てはまります。
私自身、1995年に日本財団という公益財団法人で働き始めたとき、すでに64歳を迎えていました。財団の仕事では毎日いろいろな人と会わなければならなかったので、人と付き合うのが苦手な私にとってはなかなか大変だったんですね。
それでどうしたかというと、「自分の頭の後ろにはスイッチが付いている」と思いこむことにしたのです。
朝、出勤するときに髪の毛の中に隠れているスイッチをパチッと押して、「今日一日、自分はどんなに嫌でも人と会うのだ。それが義務なのだから、誰とでも会おう」と自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えるというわけです。考え方ひとつで、60代になっても、経験がなく得意でもない仕事を始めることは十分できるのです。
自分に課せられた任務なのだと思えば、苦手なことだってこなせる。こうして、大人というのは常にある程度の裏表を作って生きてゆくものです。
嘘をついてはいけない、いつもありのままの自分でいなければならないといまの日本人は考えるんですってね。「みんないい子」だという誤った前提のもと、戦後の教育は行われてきたからです。
しかし、なぁなぁで生きてゆけるほど世の中は甘くない。人は誰しも神と悪魔の中間で生きているんです。純粋な善人も、純粋な悪人もこの世にはいません。むしろ、人間の悪い面を理解し、それとうまく付き合う術を身につけてゆくことこそが、自立するということなのです。
最近、会社の仲間で飲みに出かけても、上司が部下に奢らなくなったといいます。奢るということが、恩を売ることと同じだという考え方が広がっているんでしょうか。これは一見謙遜や自重のようにも思えますが、本当は違います。皆普段から、何でも自分の利益になるかならないかでものごとを判断しているから「奢るという行為には、何か打算や思惑が隠れているのではないか」と考えてしまうんでしょうね。
上司は、人間としての情で奢るべきです。若者は、嫌なら最初から飲み会に来なければいい。けれど、人は飲み会で人生を学ぶんです。
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