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The Strange Assessor
〜 第一話 査定物=M92F/FS 〜 Page:0007 
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 子桜は膝をついた。銃を握った右手で、左胸を握るようにして、心拍を整えようとする。それから両手を床につき、肩を上下させた。
「子桜さん!」
 立ち上がった錬司は、悲鳴に近い声をあげながら子桜の下に駆け寄る。二つのグラフはめちゃくちゃな波形を描いていた。
 彼女の喉からは喘息患者のような、ひゅう、という音がもれた。錬司は爪を立てて身体に張りついているセンサを剥がしてから、彼女の背中を根気よくさすった。
「……錬司、カメラ」床を見詰めたまま片手を上げてノートPCを指差す。
 彼は心配そうに頷いてから机に戻った。測定用ソフトウェアを終了し、代わりに別のソフトを起動する。店内に設置した防犯用のビデオカメラをモニタするためのものだ。カメラを切り換えると、解像度の荒い画面には、見たことのある男性の姿。
「……お客様です」
「すぐに上に行くから、引き止めておいて」
「子桜さん……、大丈夫なんですか?」
「血のついた服を着替えたいのよ」ふらつきながら立ち上がり、思い切り口の端を斜めにして笑う。「着替えるの、手伝いたいって訳?」
「すぐに戻ります!」錬司は動揺した顔を隠さずに、階段を上っていった。
 彼がハッチを閉めた音を確かめてから、意識してゆっくりと笑う。
「ああ、面白かった」
 微笑みながら眼を閉じると、査定前に錬司が撃ち抜いた空き缶があった方向に連射した。銃声の中に甲高い音が混じって、金属片があちこちに跳ね上がった。
 不必要な思考を消去し、素人にも完璧な射撃を可能にするシステムのみを抽出されたベレッタは、持ち主ではない子桜の手にもしっくりと馴染む。
 シャワーを浴びる前にパソコンをシャットダウンしようと、学習机へと立ち寄った。画面を覗きこむと、まだビデオカメラの映像がモニタされていた。
 子桜は血がついていない指だけでシャットダウンすると、爪で乾いた血を掻きながら階段を上がっていた。
 一秒でも早くシャワーを浴びたくてたまらない。

「査定は終了しております」
 言いながら、子桜はカウンタに紙片を置き、揃えた指で三國へと滑らせた。スペアの仕事着に着替えており、営業用の笑みを浮かべている。
「二百万か」紙片を摘まみ上げ、三國は皮肉に笑う。「どんな基準で決めたんだ?」
「査定の基準金額が二百五十万円。この拳銃はアンティークではないため、傷や劣化は減額対象になります。これがマイナス五十万円。最終支払い額が二百万円といった形になっております」
「まあ、元々金額の大小なんて考えていやしないし、悪くない金額だとは思う」
「同意されますか?」
 鼻を鳴らしてから、三國は首を縦に振った。
「それでは、同意のサインを」ベストの胸ポケットから万年筆を取り出して、紙片の上に置く。
 サインに慣れていないのか、三國は丁寧な楷書で自分の名前を記入した。
 彼の筆跡を確認してから、子桜はレジに金額を打ち込み、二つの札束を取り出した。紙のバンドをちぎり、三國の眼前で一枚ずつ数える。ちょうど二百枚あることを三國に納得させて、封筒にしまう。
 分厚い封筒を懐に収めると、何も言わずに背を向けた。
 しかし、出て行こうとはしなかった。
「騙しやがったな……」子桜を見ずに、三國は呟く。
 入り口――手錠を握り締めた長谷部庸一が立っていた。
「私は裏切ってなんかいない。契約は忠実に実行しているわ」肘を突き、指を絡めあわせる。「査定が終了してから、お店の前にいたお客様に、新入荷の商品を錬司に説明させただけで、貴方の事は一言だって口にしていない。ただ、偶然にもお客様がベレッタの持ち主を知っていたっていう訳」
 ビデオカメラに写っていた人間――張り込んでいた長谷部だった。
 立ち尽くす三國に、長谷部は手錠をかけた。「さあ……、来てもらう」
 数歩歩き、彼は首だけ振り向いた。どういった感情も見えない、眠そうな顔だった。
「次に会ったときに、生きていたこと後悔させてやる」
「いいえ、それは無理ね」
 唇を斜めにした、三國の笑み。
「だって貴方は……、死刑になるから。そう、望みどおりに」
 ちょっとの刺激で破裂しそうな沈黙。
 売り物の時計が、ちっ、ちっ、という音を強調する。
「違いない」
 三國の肩が下がり、力が抜けてゆく。それから、くすくす、と笑いだした。
 側で聞いた長谷部は、驚きながら三國の表情を観察した。
 それでも、今度こそ前を向いて歩きだす。
「長谷部様。ご予約されていた商品のほうはいかがいたしますか?」
「やはり、やめておこう」長谷部は振り向いて反撃とばかりに、にやりと笑う。「まだ購入するとは言っていないしな」
「当店では、冷やかしはご遠慮願います。以後、お気をつけください」
 敵意を向ける訳にもいかず、長谷部も彼女に頭を下げた。
 そんな様子を、三國は見ようともしないで、ぼんやりとした視線で外を眺めていた。
 長谷部は三國の手首をハンカチで隠して、店を出ていった。外にはパトカーが待機しており、二人が乗り込むと、あっという間に走り去った。
「……どうして、あんな態度になったんですか?」釈然としない表情で、錬司は問う。
「思考のシステムが物に組み込まれるのなら、相互的に物のシステムに変更があれば、持ち主も影響を受けることは避けられないのよ」両手の指を絡み合わせて、その上に顎を乗せた。「共時性、に近いかもしれない」
「何です、それ?」
「私は錬司の教師じゃないのよ」言ってから、彼女は思い出したように口元を緩め、「ところで女教師って、錬司にはくるタイプな訳?」
 まともに答える気がないことを悟った錬司は、「商品化してきます!」と言い残して店の奥へ引っ込んでしまった。
 子桜は誰にともなく肩をすくめて、それから姿勢を正した。
「またのお越しをお待ちしております」
 店の外に向かって、深く、頭を下げた。
 
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