■ 温暖気候 ■
1
細い路地を抜けると、そこにはいつか本で読んだ世界が広がっていた。
色とりどりの果物や珍しい小物を売る露店。無骨な石造りの、けれど暖かな色合いの建物。銀光りする大小様々な剣や、そのまま大木から切り出してきたような木製の杖を持つ人々。馬やロバの背に山のような荷物を積んで行き交う商人。コンクリートやアスファルトといった、温もりの無い無機質なものは一切無い、手作りの町並み。
俺は空想の中でしか出会えなかった世界に立ってるんだ。目の前に広がる光景に俺の感情は付いて来る事が出来ず、呆然とするばかりだった。
「……珍しそうにしちゃって」
「だって……」
俺は遠慮気味にティナを見る。
僅かだが目が赤い。堪えていたようだが泣いたんだ。
泣いた事と、大きな魔法を使った事とで、少し衰弱しているように見えた。魔法というものはその規模によって著しく精神力を消耗するものらしい。
契約を交わす準備が完了したとティナに呼ばれ、再び精神体となった俺とティナがエファーの元に戻ると、なぜかエファーの姿がなかった。真っ白な鳥の……いや、エファーの背中の羽根が散らばっており、ティナが言うには、エファーは何者かに連れ去られたのかもしれないという事だった。
ティナとエファーは禁を犯して、俺の前に現れたのだという。
俺の住んでいた現実の世界と、ティナたちの住んでいた不思議な幻想の世界は、行き来する事はかなり困難で、けれどたとえ行き来できる実力を持っていたとしても、それは禁止されている行為なのだという。
ティナはエファーに掛けられた呪いを解くため、呪いを解く事が出来る贄を捜すため、禁を犯してまで、俺たちの世界へきたのだという。
ティナは……弟思いなんだな。俺の姉さんみたいに。
禁を犯している者を追う者がいたとしても不思議じゃない。そいつらにエファーは見つかったのかもしれないんだ。呪いによって魔力を著しく制限されているエファーには、そいつらを追い返す力は残っちゃいないらしい。
錯乱しかけたティナを、俺は励ました。どうしてそんな事をしたのか分からない。それに、内気だった俺が他人を励ましてやる事が出来るなんて……。
成り行き、と言えばそれまでかもしれないが、俺はティナを手伝う事にした。誰もが手を妬く問題児の俺に何が出来るのか分からないが、どうしても一緒に行かなければならない気がした。ただ、ティナと別れたくなかっただけかもしれない。
ティナは姉さん以外で初めて、普通に話しかけてくれたヒトだから。
「ティナ、顔色悪いみたいだけど……大丈夫か?」
「ん。ちょっと疲れたかな? でも大丈夫よ」
頭にある二本の角を隠すように髪を結い上げているティナ。角が見えててもほとんど髪で隠れている事もあり、あまり違和感を感じないと思うんだけど……。
2
軽く食事をするために入った店で、ティナは適当な料理を注文する。俺にはどうせこっちの世界の文字は読めないし、料理名を聞いた所で、どんなものか想像出来ない。ティナに任せるしかなかった。
そういえば、どうして異世界の言葉を理解できるんだろう? 人が話してる言葉は普通に聞こえるし、理解できるし、俺自身も話す事ができる。偶然日本語と同じなんて事は考えられない。それに俺は精神体じゃなかったのか? よく分からないが、精神体ってのは幽霊みたいなものじゃなかったんだろうか?そう、勝手に解釈していたんだが。
ティナの魔法なんだろうか……。疑問が次々頭に浮かんでくる。
「ティナ、俺の言葉って、通じてるよな? それに……姿、見えるよな?」
「ええ。向こうからこっちに向かう最中、言語は理解出来るようになるのよ。頭の中身がそっくり入れ替わると思ってよ。姿に関しては、分かんなかったなぁ……精神体って言い方はしたけど、分裂するって言い方の方が正しいかもしれない。向こうの怪我だらけの圭も、今あたしを質問攻めにしてる圭も、どっちも本物の圭なのよ。まあ、互いの世界では存在の弊害っていうのは出てきちゃうんだけどね」
「存在の……弊害?」
ティナが俺の住んでた世界に来る。これによって、あり得ない異物の分だけ、何かを減らさなくてはいけない。俺がティナたちの住む世界に来る。これによって存在し得ない異物の分だけ、何らかの弊害が出る。
ティナとエファーは二人で俺の住んでいた世界に直接やってきたが、俺は今ここにいる俺と、入院中の傷だらけの俺の本体とに別れてこっちの世界にやってきたらしい。つまり、どっちも本物の俺だから、今現在、俺は二人いるという事だ。
言ってる事は理解できるが、どうもいまいちピンとこない。普通じゃ体験できない事なんだから余計に混乱してるんだろう。
でもまあ、俺の住んでた世界とティナたちの世界、天秤で釣り合ってるって考えればいいんだろうな。うん。これでいい。完璧に理解しようなんて思っちゃいないし。
「そうだ、圭。あたしの事をあんまり悪魔だ魔法使いだって大声で言わないでよ」
「どうして?」
運ばれてきた大皿の料理を、ティナがより分けてくれる。割と優しい所もあるんだ。
「圭のトコでも、人種差別とかってあるでしょ。あたしたちは魔族って言って、少数民族なの。迫害される側。こっちの世界で一番強いのは人間よ」
「魔法使ったら強いだろう?」
「大勢で一斉に攻撃されたらかなわないわよ。ま、一応、協定はあるんだけどね」
知性の低い魔物から、魔力を持たない人間を守る代償として、人間はむやみやたらと魔族を攻撃しない。そういう協定らしいが……やっぱりいまいちよく分からない。魔物っていうのは、俺たちの世界にはいなかったからな。実際、国籍がどうとかで、もめる事はあっても、殺し合いまではしないし。物騒な世界なんだな、こっちの世界っていうのは。
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