■ パブリック サクリファイス ■
鏡を眺めて、白夜は小さく舌打ちをした。
蝋の様に白い肌にハッキリと紅く残る痕。
「しばらく襟のねえ服は着られねえな…」
昔から痣などの治りにくい体質なのだ。しかし、こんな痕が人に見つかっては大騒ぎになってしまう。
諦めるかのように大きな溜め息を零して、服の袷をきっちりと止めた。
意識を切り替えるために、全てを完璧に正す。
王として、いつかその上に立つために、全てにおいて何者にも侮られてはならない。
「…良し」
全身を映す鏡で、前後ろと確かめてOKを出す。
「じゃ、行くぜ。宜しく、クロ」
賭けの一日目。
白夜は洒落たウィンクで、藍に示した。
フェンネルトの首都とも言える城下町より、南下した位置にあるこの領地は特に特色もなく、問題もなく…白夜の感覚で言ってしまえば、「ツマラナイ」土地である。
そんな処にまでわざわざ来た理由は、ここの領主である海延の姪が婚約したのでその祝い、ということになっている。
海延が、国の中でも一応重鎮と考えられるとはいえ、何故そんな理由で自分がわざわざ来なければならないのか。
白夜は面倒くさげに思ったりしたが、
「どうせ、そんなものは口実で貴方に来てもらいたいだけなんだから、いっそ行ってすっきりしていらっしゃい」という、母親―――つまり、王妃の言葉に送り出されてしまった。あの母に美しい微笑みとともに言い渡されたら、白夜に逆らう術はない。
暗殺を怖れない人間にも、恐ろしいと思うものは存在する。
フェンネルトの王妃は、美しく聡明であるとの評判だが、キレたら恐ろしいと言うことも有名だった。
しかし、暗殺の可能性を仄めかしながら、息子に笑顔で行ってこいと告げる母親もどうだろう?
…深く考えるとコワイので、白夜は一応その態度は信用ととっておくことにした。
(どーでもいいって思われてるとおもわないけどさ…)
にこにこと、人の良さそうな顔で、適当に目の前の相手の話に相槌を打ちながら、考える。
もちろん、海延の話はきっちりと聞いている。くだらない、と冷淡に断じながらも。
「―――それで、殿下にご紹介したいのですが…」
海延は、40歳ほどの男で、領主として代替わりしたのは最近だと聞いていた。年齢でいえば、白夜の父よりも若い。だが、考え方は古くさかった。
芝居がかった動作で、意匠の細かいガラスの扉を開く。
「入ってきなさい」
その命令に従って現われたのは女だった。その性別にしてみれば、背は高い方だろう。
その顔を見て、さすがの白夜も眼を見張った。
均整のとれた褐色の肢体を白い衣装で包み込んで、赤みがかった金髪は背に流されて緩やかに波を打っている。なによりも、意志の強そうな視線が注意を引いた。
「…美しい御婦人ですね」
その御婦人は、昨晩、白夜を暗殺しようと謀り、そして常軌を逸した賭けを承諾した暗殺者にそっくりであった。
「妻の親戚筋の娘で、ブラッシュの生まれなのですよ」
「はじめまして、殿下。緋桐と申します」
洗練された動作で、美しく礼をする。
しかし、一瞬見上げた視線には、挑発的な光が宿っていた。
もちろん、白夜もその後ろに控える藍も気が付かないわけがない。白夜は、切り返すように笑い、藍はただでさえ真面目な表情を更に硬くした。
「殿下の側近の藍殿もブラッシュの出身だと聞き及んでおります。賢い娘ですので、殿下のお話相手にもなりましょう」
「………………」
ん?
表には隠したまま、内心首を傾げる。
「殿下。庭に珍しい花が咲いております。お茶の余興に如何ですか?」
―――女性の誘いを断るのは、強靭な精神力が必要だ。
いつか聞き流した父の冗談が、何故か耳の裏あたりで思い出された。
海延の自慢の庭園は、確かに力を入れているのが良く解るほど完璧に整えられていた。
珍しい種の草花も多い。さぞかし庭師の腕がいいのだろう。
海延は本当に愛でるだけの人間で、彼が一々庭の手入れをしているとは思い難い。主人の気紛れで育て方も解らない苗を押し付けられる誰かに、緋桐は少しだけ同情した。
「これは他国から仕入れた種だそうですよ。花弁の色が変わっていきますの」
土いじりには全く向かない、細い指が花の縁をなぞる。
けれど、小さな針で傷つくほど柔らかい肌ではない。
「まだ私も見てはいないのですが、この純白が鮮やかな赤になるのですって。…美しいと思いません?」
「……なんか含まれているカンジ」
他に誰もいないせいか、あるいは既に昨夜でバレているから良いと思っているのか、白夜が地で答える。
「でも、まぁ。確かに美形だから。それは認めるけど」
かなり本気でのたまう白夜に、緋桐は唇の端だけを吊り上げて笑ってみせる。
それだけで変わる妖艶な色は、女性というよりは女の特性かもしれない、と思った。
女には、男には持てない色がある。その逆もあるとは思うが、自分がそれを得ているかどうかは謎である。
実は身体に筋肉があまりついて見えないのが、白夜の密かな悩みだったりする。別に藍のように大柄になりたいとは思わないが、女装だって出来そうな細さはちょっと悲しいモノがある。
「確かに、美形ではあるわね。貴方も。貴方の側近も」
「どぉもー」
「でも、それだけではないでしょう?」
笑んだ瞳が白夜を射る。
細長い指が葉を撫で、花に届く。
白い、花。
すっぽりと手のひらの中に包まれてしまう、可憐ともいえる純白。
|