2006.02.16
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
早期英語教育賛成の悲哀 その2
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 さあてと、今週も早期英語教育の是非についての話です。先週の、姪っ子が私立中学を受験して合格したあとに何が待っていたか、の話をしようと思う。
 姪っ子が入学した私立中学は、もともと幼稚園から中学まで一貫教育のミッション系の女子校であった。だから姪っ子は「外部生」と呼ばれる立場の、中学からの入学である。この学校のカリキュラムの特徴に、幼稚園段階から「宗教の時間」というものがあり、かつネイティブスピーカーの教師による、早期英語教育がなされているというのがあった。
 姪は、入学してしばらくすると、英語があんまり好きじゃない、と漏らすようになった。荒れた学校に行かせなくて本当によかったと胸をなでおろしているわたしと姉は、ここで初めて、姪の置かれた境遇を知ることになる。公立の小学校を出て、英語とはまったく縁なく成長した姪のまえに、幼稚園から英語教育がほどこされている内部生たちとの学力の差が、壁のように立ちはだかっていたのだ。
 わたしは姪の様子を見るため、オープンスクールデイというものに参加してみた。すると、壇上に次々とネイティブスピーカーの教師たちに徹底的に発音を訓練された少女たちが現れ、英語によるスピーチを披露しはじめた。わたしのように、公立で、中学から、日本人教師による変な発音(教えてくれた先生方には申し訳ないが、発音に関してはじつに質の悪い教育を受けたものだと思う)を、あいまいに身につけてしまった人間には、もう一度血がにじむような思いで習得しようと努力しなければ真似のできない、それは綺麗な発音だった。姪は、こんな少女たちと肩を並べて勉強しているのか、と、暗澹たる思いでそのスピーチを聞いた。英語に苦手意識が生まれるのも当然である。
 申し訳ない、すまなかった、と思った。どうして姪に、もっと幼い頃から英語を習わせてやらなかったのだろう、本当にすまないと思った。わたしが義務教育を受けていたころのように、英語教育は中学からのんびりとやる時代は、とうの昔に終わっていたのだ。いわゆる「勝ち組」にまわるであろう子供たちは、こうして幼い頃から叩き込まれた英語という武器をもっている。この子たちなら英語で会議をしている企業に放り込まれても、臆せずに堂々と渡り合えるような気がする。海外の拠点に転勤になっても、やっていけるような気がする。なぜわたしたちは、姪になにもしてやれなかったのか。そういう思いが、どっと肩にのしかかってきた。
 わたしがまだ高校生ぐらいのときだったと思うのだが、義務教育に関する討論がなされているテレビ番組を見ていて、文化の差に驚いたことがある。たしかイギリス人がインタビューに答えていたように記憶しているのだが、
「わが国の公立学校では、良い教育はなかなか受けられない、だからお金をかけて私立の学校に我が子を入れるのが親の義務であるという認識ができている。その点、日本はとても変わっている」
と話しているのを聞いて、とても驚いた。お金がないとまともな教育も受けられないなんて、不自由な国もあるものだ――と、じつに不思議に感じたので、強く記憶に残っている。しかしいつしか時代は変わり、日本もそうした国のひとつになっていたのだ。それにわたしは気づかなかった。
 ならば、と公立校にしか子供をいかせられない親が思うのは、義務教育における英語の早期教育であろう。私立の学校では、自由なカリキュラムで、早い時期から子供に英語教育を受けさせている。せめてわずかでもその差を埋めるよう、小学校からの英語教育を――親たちがこう願うのは当然なのではないのか。
 しかし、こういう保護者としての切なる気持ちを逆なでするように、ボスがFAXで「これを読みなさい」と送ってきたのは、『日本の論点2006』に寄せられた大津由紀雄氏の、早期教育反対論である。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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