2006.08.11
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
士農工商は生きている? 営業できない日本人
全2ページ
 こないだ、ちょっとした縁から漫画の原作をやらないかという話になって、
「本当は恐ろしい田舎暮らし 〜危ないスローライフ〜」
というアイディアを提案したら、没になった。
 その漫画雑誌は、「どこそこ刑務所で本当にあった話 死んだはずの死刑囚が!」とか、「なんとか組三代目組長襲名における危ない裏話」とか、実話系のホラー漫画を数多く掲載してるので、この題材はピッタリだと思ったんだが、編集者は一笑にふした。おかしい、なにがいけなかったんだろう。
 これはわたしの地元で本当にあった話である。
 ホントのホントの実話である。
 幽霊話みたいなでたらめと一緒にしてもらっては困る。
 とある建設会社で働いている営業マンのAさんは、その日、だれも通らない林道のような峠道を車で通過していた。午後1時半。「道の駅」で食べた天ぷら蕎麦が胃を膨らませ、かなり眠かった。
 一瞬、睡魔に負けた。
 そのときだった。
 くねくね曲がった峠道のカーブで、彼の車はガードレールを突破して、崖下に落下してしまったんである。
 はっと気がついたとき、Aさんの両足に激痛が走った。事故の衝撃で大腿骨が折れてしまっている。
 遠くに沢の音が聴こえる森林のなかで、Aさんは途方に暮れた。こんなときに役立つはずの携帯も「圏外」だった。
 首都圏で暮らしていると、地下の店にでも潜らないかぎり圏外を経験できないかもしれないが、田舎というのはちょっと人里を離れると、平気で圏外になる危険を孕んでいるのだ。おまけに足は折れているから、身動きがとれない。
 だれがこの事故に気づいてくれるだろう。ただでさえ人の通らない道なのだ。
 ちなみに季節は秋だった。
 これぞ「本当に恐ろしい田舎暮らし」である。
 スローライフなんて夢見るのはやめといたほうが無難である、とくに都会の便利さに慣れきった人間には。自然というのは、どこに危険が潜んでいるかわかんないもんなのである。
 結局、Aさんは事故発生後、3日目の朝にようやく捜索隊に発見されることになったのだが、そのあいだ彼がどうやって生き延びていたかというと、これが凄まじい。
 車の窓から手を伸ばし、腕にとまったトンボを捕獲、それを生のまま食べて飢えをしのいでいたというのだ。
「食べないと死ぬ。そう思いましたので」
 後日、彼はそう語ったが、いくら死にそうだからってトンボを食えるかといわれたら、わたしなら食えない。いや、食おうという発想も起きない。
 なので、わたしがこの話を聞いたときの感想を率直に言えば、
「営業マンって、やっぱすごい!」
である。なんていうか、生命力の違いみたいなのを感じたっていうか。あなた、DNAがじつは人間じゃないんじゃないの? 別の生物なんでないの、みたいな。北海道のほうで難破した船の乗組員が亡くなった仲間の人肉を食べて生き延びたという実話が『ひかりごけ』という小説になったけど、わたしは人肉を食べるよりトンボを食べるほうが、心理的ハードルが比べ物にならないほど、高い。だって、相手は昆虫ですよ? しかも生の。人間のほうがよっぽどいいじゃん、哺乳類だし。生きたまま食べるのは問題があるけど、死んでいるなら、まあ。
 で、いまなんだってこんな話をしてるかというと、
「なんでこんなにホラーな話が漫画の原作にならないんだ?」
と問いたいのではなくて、わたしのなかの「営業マン」のイメージについて語りたいからである。『日本の論点 2006』のなかで、中国山東省出身の宋文洲(そう・ぶんしゅう)さんという東証一部上場企業のCEOが、
「ここがおかしい日本の営業。製造部門の成功を手本にすればモノは売れる」
という論文を寄稿していて、それを読んで、
「たしかに日本人の営業というか、営業マンはかくあるべきみたいな日本人考えってとっても変かも」
と思ったからである。




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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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