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最近はだいぶ下火になったが、主に2ちゃんねるなどのネットで用いられる用語のひとつに“DQN”というのがある。読み方は“ドキュン”が元祖で、次第に“ドキュソ”に変っていた。なにを意味するのかといえば、コンビニの前などの地べたに座って喰い散らかして去っていく青少年とか、並んで電車を待っているとき、その後方から座席にめがけて荷物を投げて席を確保するおばちゃんであるとか、その行動が公共意識に欠けた人を指す。わたしはこのドキュソという言葉を用いるのが嫌で、
「著しく民度が低い人々」
という言葉を代わりに用いていたのだが、こないだ石原都知事が「民度」という言葉を用いて過激な発言をしたらしく、ネットでこの言葉を使うと、
「石原の真似」
とかなんとか言われるので、とても腹立たしい。民度が低いという言葉を用いずに民度の低い人々を表現しようと思うと、いきおい、ドキュソという言葉を用いざるを得ないからだ。わたしは石原都知事のおかげでとても困った状況に立たされているといっていい。しかし、“DQN”という用語の発明によって、ドキュソはようやくドキュソとして認識が可能になったのでドキュソという言葉は大変便利なのだが、これを使うと即2ちゃんねらと思われるので嫌である。それでようやく編み出した“民度が低い”という表現も奪われたとあっては、手も足も出ない。
さて今回のお題は『コンビニ敬語』である。論点の編集長が腹を立てて、
「最近の若い者の敬語はなっとらん!」
とまくし立てるので、それまでは全然オッケーだと思っていた(本来は“全然”のあとは否定語が入らなくてはならないというのが編集長の主張。ええい、うるさい人だ)表現に、このたびはじめて目がいった。
編集長の主張はこうだ。
「だってよお、『こちらラーメンになります』って表現はどう考えても変だろ。なりますって、これからどんぶりのなかで未完成のラーメンが完成したラーメンに成るのかよ? 乾麺がどんぶりのなかで茹でた麺に変身すんのか? 違うだろ。もうラーメンだろ。どこからどう見ても最初っからラーメンに成ってるだろ。見りゃわかるだろ!
あとさ、コンビニでよく使われる『お弁当のほう、温めますか』も変だよ。『お弁当を温めますか?』で十分だろ。『ほう』は方向を指す単語だろ? お弁当の方角に向かって火をぶっ放すのか? 違うだろ。それとさあ『ご注文は以上でよろしかったでしょうか』って何? 『ご注文の品は以上でよろしいでしょうか』でいいだろ。『よろしかったでしょうか』ってさ、過去の記憶でも呼び覚ましてしているのか?」
じーっと耳を傾けていると、なるほど、どれもそれなりに納得のいく主張である。しかしどの表現もコンビニ世代としては体に馴染んでいる敬語、いちいち変だと言われても、いまいちピンとこない。じつをいえば『よろしかったでしょうか』が一番納得がいくのに時間がかかった。どこが変なの? あ、過去形なのがいけないのかな。
「あとな、『いらっしゃいませー』の語尾が最後に低くなるのな。あれ、腹立つんだよ。店員全員で、客に視線もあわせないまま、やまびこみたいに『いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、いらっしゃいませー』と連呼するの。あれなに? 自分に気合を入れてるの? そうそう、この『いらっしゃいませー』の語尾を下げるイントネーションについては国語学者の金田一秀穂さんが面白いこと言っててさあ。『いらっしゃいませー』をベートーベンの『運命』のフレーズとあわせて発音すると、ジャジャジャーン、ジャジャジャジャーンがな、いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、を連呼するリズムと合うって」
それ、面白い思いつきかなあ? 金田一さんには申し訳ないけどさ。
ていうかあ、わたし的には編集長の主張、ぶっちゃけ、どうでもいいんだけどー。などと、編集長の嫌うような言葉をふんだんに盛り込んでみました。
だってそんなこと言ってたら、言葉の乱れというか、正確には言葉の遊びなんだけど、ネット文化の言葉なんかに編集長が接したら悶死するですよ。
若干古い用語も交じるけど、“俺”は“漏れ”、“既出”は“がいしゅつ”、“〜しました”は、“〜しますた”、“既婚女性は“既女”が変換されて“鬼女”に、独身女性は独女が変換されて“毒女”、もてない男は“も男”と略されたのちに“喪男”。まともな日本語を使おうと思っていたら発狂もんでしょ。
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