2004.12.02
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
地球温暖化と北方領土
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 二十数年前、わたしは中学生で、新聞の片隅に載ったある記事に驚愕頓死しそうになってた。そこに書かれていたのは、忘れもしない「地球温暖化問題」だった。地球の温度がどんどん上がって、砂漠は広がり大型のハリケーンは頻発し死者が出て海面も上昇し沈没する国も出てくると。これは大変なことになったと思ったわたしは、速攻、母親に訴えた。お母さん、大変だ、地球が温暖化しちゃうよ! 
 わたしはそのときの母からの返答を忘れない。
「地球が温暖化? あーら、このへんでも蜜柑の木が育つようになるのかしら。お母さん、地球温暖化大賛成!」
 母はねっからの東北育ちであった。わたしは確信を持っていえる。旧ソ連領に住むほとんどの人、とくにロシア人の「地球温暖化」感覚なんて、せいぜい母と似たり寄ったりだと。地球が滅ぼうがなにしようが、自分たちが暖かければそれでいい。ロシアはずっと南下政策をとっていたと聞くけど、あれは本能なの。理屈なんてないの。原始的な生き物のように反射的に南に下ってきてるだけなの。正義もへったくれもないの。
 しみじみそう思ったのは、ボスこと渡辺編集長から、
「ソ連も含めて、あそこの国は、有史以来、奪った国を返してない」
という絶望的な話を聞いたときだった。暖かいところを征服したら、もうてこでも動かない。ロシアってそんなイメージがあったけど、やっぱりそうだったのか。駄目じゃん、北方領土問題。
 さて今週は11月21日にチリでAPECが行なわれて首脳会談でプーチンさんが二島しか返さないといったとかいわないとかで、北方領土問題です。
 いまはどうかは知らないけれど、わたしが子供のころって日本に領土問題があるとは、公にはあまり語られていなくて、北方領土という言葉自体を知ったのは右翼の街宣車だった。で、母を馬鹿にはするけど、そこはわたしも東北育ちの子供だったので、はじめて北方領土について聞いたときはこう思った。
「いいよ、いらないよ。そんな寒い土地。それより台湾ともっと仲良くしよう。バナナが育つよ」
 で、その後漠然と北方領土問題に知識を蓄えて今に至るんだけど、けっこうあやふやである。北方領土問題が第二次世界大戦中に生じてしまったのは知っていても、その後日本でどのような政策が練られてきたかはあんまり知らない。そこでボスが教えてくれて、ほほうと思ったところを抜粋すると、
「日本が1945年に戦争に負けたあと、連合国と講和条約を結んだ。それがサンフランシスコ講和条約で、このとき北方領土は日本の領土であると認められたのだが、この講和条約にソ連と中国は調印しなかった」
ということと、
「太平洋戦争が終わる直前、日本の千島列島に突然ソ連が侵攻してきたのは、1945年2月のヤルタ会談で、スターリンとアメリカのウィルソン大統領とイギリスのチャーチル首相の密約だった」
ということと、なにより重要なのはこれ、
「1956年に、日ソ共同宣言を結ぶ。このなかでソ連は、歯舞と色丹だけは、返すと言ってる」 ってことである。だから二島なのか。ちょっと見えてきたぞ。
 なんでもボスによれば領土問題を解決するには、まず平和条約を締結するのが基本なんだそうだ。けど、日本とソ連とのあいだには、なんと平和条約ってなかったそうだ。おまけにいまプーチンさんが返してくれると匂わせている二島だけど、面積は千島列島全体の四パーセントしかないそうだ。ひでえ。
 で、ロシア国民があそこを返さないとなぜ言ってるかといえばひとつは、
「モスクワに住む人たちは、賛否投票させると、返すなというけれど、北方領土がどこにあるのか知らない」
ということと、冒頭にあげた、
「有史以来、奪った国を返してない」
というふたつの理由によるそうだ。まったくもって駄目、激しく駄目、ロシアとは話す余地なしって感じである。ボス、聞けば聞くほど打つ手無しですが、なんかいい策はないんですか。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。別冊文藝春秋に連載の小説『ためらいもイエス』が今年4月に文藝春秋から刊行された。小説はほかに『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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