2004.12.09
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
憧れの刑務所暮らしと刑法大改正
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 ときどきむしょうに恋焦がれる場所がある。
 それは塀の彼方にある別天地、黙っていても三食出てくる夢の国、罪を犯さないと行けない秘密の楽園。憧れの刑務所暮らしである。
 花輪和一の『刑務所の中』という漫画が流行したころ、わたしは2ちゃんの花輪スレッドに入り浸っていた。著者の花輪和一氏は銃刀法違反で3年の実刑判決を受け、服役していた。そのときのルポがこの漫画である。刑務所の生活は起きて、食べて、寝ての繰り返しで、そのシンプルな生活は清涼感を伴う。現代のユートピア漫画といってもいいと思う。
 このため花輪スレッドには刑務所生活に憧れる読者たちが大勢集っていて、「刑務所のなかでアルフォートが食べたい」とか「刑務所のなかでレッドトップの情報を交換して、出所したらみんなでいっしょに大麻を吸いに行ってみたい」とか、そういう不埒な願望を書き込む輩でいっぱいだった。
『刑務所の中』が発刊されてからはや4年、さすがに熱狂的な刑務所ブームは過ぎ去ったが、いまでもときおり猛烈に思う。
 ほんのちょっとの勇気があれば、自分も刑務所に入れるのに、と。
 ここのところまたそんな気分が強くなったのは、10月にひいた風邪がきっかけだった。雨に打たれた夜があって、その日から体調がよくなかったんだけど市販の風邪薬を定量の3倍飲んで働いていた。これがよくなかった。対処療法でこまかしているうちにどんどん風邪は悪くなり、最終的には救急車で病院に担ぎ込まれるまでとなった。それが11月の半ば。いまだ微熱がさがらない。医者にいってもなんの薬が出るわけでもないので、ひたすら微熱に泣いている。
 いま、貯金無しで三十代後半をむかえたフリーターが増えているという。わたしの大学時代のクラスメートにも、最初は企業に勤めていたのに数年で会社を辞め、なにかの資格を取ると宣言しながら10年ぐらい家で引きこもっていたりする人間がちらほらいる。わたしはとりあえず毎年食べて行けるだけの稼ぎはあるけど、就職らしい就職はせずにここまで生きてきたから、いまの熱のある状況というのは、
「働けなくなったフリーター」
 に近いというか、ほとんどそれそのもので、なかなか過酷な現実である。フリーターで生きていくというのは、今日の熱に泣きながら明日のおまんまを稼ぐということに他ならない。
 熱があっても取材に行くとき、防腐剤たっぷりのコンビニの弁当が喉を通らないとき、夕方にかけて上がってくる熱の寒さに布団のなかで震えているのに携帯に取り立てのメールがくるとき、わたしはとても惨めになる。
 そんなときに思うのが刑務所だ。なにもかも捨てて、刑務所の胸のなかに飛び込んだらどれだけ楽かなと、情けないことにたまに空想する。
 最近、ひきこもりの男たちが30歳を目前にして家族を殺害する事件が相次いだけど、あれなんかも引きこもりの青年側のしごく勝手な理由はといえば、これだと思う。
「親がうるさくなって引きこもりも手詰まりになってきたから、そろそろ刑務所にステージを移そうかと思います。これからはしずかに刑務所に引きこもろうと思います」
 実に不愉快なことだが、わたしは引きこもり馬鹿のこういう気持ちの流れが、解りたくはないけれど解る。もしも自分が男で、もうすこし馬鹿で、なんの気概もなく、家族にわたしを甘やかせるだけの力があったとしたら、わりと安直にそっちの道を歩んでいたかもしれないのだ。
 現実がわたしにそれを許さなかったから、わたしは社会に止まり、不器用に毎日をどうにか過ごして帳尻をあわせているけど、引きこもりの青年のように親からの圧力が希薄で、人を殺すということに十分なリアリティを感じる能力が欠如していたなら、わたしも引きこもりから刑務所への移動を決行していたかもしれない。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。別冊文藝春秋に連載の小説『ためらいもイエス』が今年4月に文藝春秋から刊行された。小説はほかに『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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