2004.12.16
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
スポーツマンと中国買春オヤジたち
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 ボスが怒っている。
 今回の亜細亜大学集団痴漢事件について、ボスこと論点の編集長の渡辺さんがこう主張して怒っている。
「そもそもスポーツマンというのは青少年の見本であると言われているが、嘘つけってんだ。体育会系なんていうのは悪の温床である! わたしは常々そう思っていた。それが今回の事件で証明された」
 なにやらボスは体育会系の人間に相当な恨みを抱いているようだが、わたしはこの理由をなんとなく推察する。ボスは団塊の世代といわれてる部類の人で、しかも学生運動が華やかなりしころに早稲田にいた。しかも早稲田の雄弁会である。
 わたしはボスと世代がだいぶ離れているのであくまで想像でしかないんだが、当時、運動部というのは大学当局の手先であったとは聞いている。
 わたしの出身大学の有名人というと阪神を優勝させてくれた星野元監督がいるんだけど、逸話があって、左翼系の学生がバリケードを築いて閉鎖していた学生会館だかどこかの教室だかに、星野が先頭をきって鉄砲玉になって乗り込んでいき、硫酸をぶっかけようと待ち構えていた左翼学生たちは、星野の全身からみなぎる野獣の気配に気おされてためらってるうちに星野にボコボコにされて敗北を喫したという。あのとき左翼学生がためらわなかったら阪神の優勝はなかった、ああ恐ろしいという話はさておいて、大学は違えどボスと体育会系の学生のあいだにも、似たような因縁があるのかもしれない。あくまで想像だけど。
「こういう事件がおきると、大学の関係者、責任者がかならずこう言う。『事実ならば被害者にお詫びしたい。厳重に処罰したい』。その根底には、スポーツマンというのは清廉で質実剛健で青少年の手本となるような人間であるという前提があるわけだけど、もともと体育会系の連中は、べつに健全であろうとは思っていないだろ。逆に危険な存在って可能性もありうるよな。山田昌弘さんという東京学芸大学の教授が言ってるんだけど、体育会系は女にもてるという理由で入部したのに実際はもてないとわかって不満をもった学生が、今回の事件を引き起こしてしまったのではないかと。あと、上下関係の論理というのがあるな。上のほうの命令に下の者は逆らえない」
 そういわれて、なんともいえない気分になる。
 というのも、わたしはいまフェンシングを習いに通ってるんだが、ここのコーチはわたしの大学の先輩にあたり、東京オリンピックのときの選手候補であった。バリバリの体育会系の人間である。だから町のクラブとはいえその伝統は受け継がれていて、コーチの存在は絶対だ。彼がこうと決めたら全員がそれに従わなくてはならないという雰囲気がある。まさにボスのいうところの体育会系の論理が成り立っているのだ。頭が痛かったのが門前仲町にコーチの馴染みのスナックがあった時代で、コーチが、
「愛子の店に飲みに行くぞー!」
というと、全員がそれに従わなくてはならなかった。コーチは、
「愛子はいい女だあ」
と言うんだけど、その愛子というのがどう見ても五十は過ぎてるでっぷりと太ったおばちゃんで、はじめてその店に行ったとき、わたしは心の底で、
(化け物屋敷に来てしまった!)
と思ったもんだ。しかも愛子は愛想のないことこのうえなく、我々は愛子に気をつかいつつ冷蔵庫のなかで腐ったようなもんで作ったつまみを肴に酒を飲み、カラオケでなにか歌うときは、
「愛子、思い通りに、愛子、生きてごらん」
などと、愛子を賛美しつつ歌わなくてはならないというのがパターンであった。我々は愛子の店の客ではあるわけだが、愛子がコーチのお気に入りなら、愛子のほうが立場は上なのである。まあ飲み代のほとんどをコーチが出していたから文句はいえないんだが、愛子の店が潰れたときは、心からホッとしたというのはここだけの話だ。また、わたしがフィリピンパブに行くのも、やはり知らず知らずのうちに体育会系の上下関係の論理というのが身にしみこんでいるからだろうと推察する。
 亜細亜大学の学生のしてることは完全な犯罪で、彼らは厳重に社会的制裁を受けて就職もままならず若くしてホームレスにでもなりやがれと個人的には思うわけだが、背筋がちょいとヒヤリとするのは、フィリピンパブだってお金を払って痴漢をしているようなもんだと思うからだ。みんな酔っ払うと店の女の子の太ももとか触るもんね。わたしはお触りなんかしても面白くもなんともないので、行ってもタガログ語の歌を歌うだけだけど、スケベ集団のなかの構成員のひとりであるには違いない。
 しかしいまここでボスにむかって、
「わたしも体育会系の人間のひとりであります」
というのはなにやら憚れるものがあるので、内心嫌な汗をかきながら同意する。
「まったくです、体育会系というのは本当にロクでもないですね」
「そうだろう? 昔は体育会系のヤツは精神的にしっかりしていて、命令はちゃんと聞くし、なにより我慢強いということになっていたが、いまは精神的に鍛えることが反発を受ける時代だ。集団生活が残る一方で、体ばかり鍛えて精神的に鍛えてないから、硬派が軟派になって、規律は緩む。性犯罪ぐらいならいいだろうみたいなことになっちゃう。そのうえ、スポーツやってるからもてるだろうと勘違いする。女性は体育会系の男に気を許してはいかん」


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。別冊文藝春秋に連載の小説『ためらいもイエス』が今年4月に文藝春秋から刊行された。小説はほかに『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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