2005.02.03
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
コレラ患者とミーガン法 その1
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 忘れもしない、それは中2の秋だった。
 わたしの身近な場所でひとつの悲劇が起こった。野球部で活躍していて、学内の女の子にすごい人気があったA君(当時14歳)が、コレラに罹ったんである。A君はフィリピンから帰ったばかりの調理師が作った、建前(たてまえ)の折詰めを食ってコレラに伝染したのだ。
 ここでふとわたしは時代を感じる。
 というのも、この話を若い読者に説明するために、すくなくとも3つの歴史を説明しないとなんないからだ。
 当時、学校で花形のクラブ活動というのが、サッカーでもバスケットでもなく“野球部”であったこと。それから“建前”というのは、家を建築するにあたって、家主が催す、ちょっとしたパーティーみたいなもんだということ。それから“折詰め”というのは、そのパーティーで配られた料理が長方形の弁当箱状のものに入っていて、持ち帰りOKなものであること、だ。
 自分で説明してるとなんか微妙に事実と違ってしまうような気がしてならないんだけど、だいたいこんな感じである。で、父親が持ち帰った折詰めを食ったA君は、コレラになった。そしてテレビが大々的に画面に映し出したのは、A君が使用した、グラウンドの片隅にあったトイレである。
 保健所の人が物々しい服装でやってきてそのトイレを真っ白になるほど徹底消毒していったんだけど、そのトイレをテレビは大写ししたんである。クラブ活動中のA君が、そこで下痢をしたのが学校全体にバレた。このため、回復したA君が学校に戻ってきたとき、“下痢チョビ君”とかいう、おもいっきりそのまんまの、なんのひねりもないあだ名が用意されていた。女の子からの人気はもちろんいきなりトーンダウンした。
 わたしは忘れない。あのA君が、その事件をさかいに、どこか卑屈な視線の男の子に変わったことを。
 繰り返しA君が使用したトイレを映し出すテレビの映像を見ていて、あの日感じた、
「こんなのってなんか酷い。よくわからないけど正しくない」
を、いまならば言葉にできる。
 報道がA君の人権を侵害した、と。
 たまたまフィリピン帰りの調理師が作った折詰めを食ってしまっただけの、なんの罪もないA君が、どこで下痢をしただとか、そんなに微妙な情報が報道されてよいものか。中学生にとって学校でウ×コをしたというのは生死を分けるほどの面子の問題になってくるんである。中学生を体験したことのある皆さんならわかるはずだ。あの微妙な時期、学校で、しかも下痢までしたってのが、どれだけ自分の評判を揺るがすかをだ。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。別冊文藝春秋に連載の小説『ためらいもイエス』が今年4月に文藝春秋から刊行された。小説はほかに『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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