2005.02.10
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
コレラ患者とミーガン法 その2
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 どうもミーガン法については書きにくい。
 なんでだろうと考えてみると、わたしが性犯罪、しかも未成年を対象にした性犯罪の加害者というのに1ミリの理解もないどころか、
「みんなまとめて火刑にしてやれ!」
と思うぐらい怒ってるからなんでしょうな。あんな奴らを社会でぬくぬくと生かしておかなくちゃいけないという、その時点でもう怒ってる。冗談にできない。犯罪でも許せる犯罪とそうでない犯罪が自分のなかであって、未成年者を対象とした性犯罪というのは、完全に後者なんですねえ。で、ボスがあれこれ喋っていても、怒りが大きくて頭に入ってこないんだな。
 さて深呼吸だ。
 おちついてボスの話に耳を傾ける、努力だけでもしてみようと思う。
「たまたま1月31日の新聞みてたら、例の奈良の小一女児誘拐殺人事件についての報道があって。あの小林薫は別の女の子にもワイセツな行為をしていたんだな。数人の女の子の画像を携帯に取り込んでいた。つまり、今回の事件があるまえから、ワイセツ目的で女の子を物色していたことが判明したのだ」
 ここでクワッと頭に血が上る。
 殺せ! そんなヤツは生きている価値がないっ。だれもやらぬのならこの手で成敗してくれるわ。
 ……いかん、やっぱり怒ってる。ただならなく怒ってる。血圧の高い人だったら血管切れてる。落ち着け、落ち着くんだ、自分。
「いや、わたしだってね、とんでもないやつだと思うけど、こういうのは精神科医の斎藤学氏に言わせると『病気なんだ』ということだ。そういう人間を治すのは難しい。性犯罪者を教育するプログラムがないからだ。日本の刑務所の懲罰というのは労働による懲罰だ。懲役というのはそういう意味だから。働くことによって、まっとうな人間に生まれ変わる、という考え方だな。でも性犯罪者は病気が多い。なら治療しなくちゃならないけれど、刑務所の中では特別な治療は行われていない。そもそも何をもって異常とするのかが解らない」
「病気」って、ある意味、とっても便利な言葉ですね。社会不適応者はみんな「病気」のカテゴリにぶち込めばOKですか? ちなみに、なんの病気なんですか。肉体の病気ではないですよね。とすると精神の病気ですか。
「まあこれはわたしの意見じゃなくて、あくまで斎藤学氏の意見だから。で、斎藤さんに言わせると、最大の問題は、本人が病気だと思ってないことであると。小児性愛とか、ネクロフィリア(屍体愛好)とか――宮崎勤なんかそうじゃないかと思うのだが――異常性愛な。その傾向を持っている人でも、普通は妄想で終わってしまう。だから、周りの人も異常とは気がつかない。気がつくときは犯罪が起きたときだ。犯罪が起きるまでは発見するのも治療するのも難しい」
 ふーん、だとすると、わたしは神戸の少年だって「病気」なんだと思いますよ。その考え方で彼を分類しようとするなら、です。
 しかしそれは本当の「病気」なんですかね? 「病気」というと口当たりがいいし、「異常者」と自分とのあいだに簡単に線が引けるから、自分たちの安心のために「病気」という言葉を用いているだけのような気がして、わたしとしては全然納得していないんですが。というか、本当の「病気」の人に失礼なんじゃないの、と。
 ボスは教えてくれましたよね。小林薫容疑者は、自分の携帯に入っている幼女の写真をスナックとかで自慢して歩いていたと。問題はここだと思うのです。わたしは某匿名掲示板で「あぶない海外」だったかな? そんな板があって、まあたいていは海外旅行でドラッグやろうよというスレッドばかりなんだけど、そんなところをのぞくオマエはなんだんだという話は横においといて、あの板で定期的にみかけるのが東南アジアで幼女買春をした男の自慢スレッドで。吐き気がするし、おまえ死ねよと思うんだけど、どうも彼らの論調からすると、幼女という、社会で禁忌と定められた相手と性行為をしたというのが、彼らにとってのステータスなんですよ。
 彼らはわたし、病気なんかじゃないと思う。ただ、社会に対して深いルサンチマン()を抱いているだけのキモ男だと。自分が社会の最底辺にいるということへの恨みから、社会で禁忌と定められている対象をみずからの手で汚す。それが彼らなりの価値観のなかで、勝敗を逆転させるシンボルになっているんじゃないかと。
 だからこんな奴ら、ミーガン法で住所も顔写真も公開されればいいんです。コレラ患者の人権を踏みにじるのはなぜですか。隔離って最大の人権侵害でしょう? でもそれを可とするのは、社会との折り合いをつけるためにやむ終えぬ措置と皆が考えているからで。じゃあ、ミーガン法だってそうですよ。こんな連中を社会のなかでどうしても生かして飼っておかなければならないというのなら、せめてミーガン法はあってしかるべきではないんですか。我々の自衛のためにも。

ルサンチマン……虐げられた者が怨恨やねたみによって鬱屈した状態


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。別冊文藝春秋に連載の小説『ためらいもイエス』が今年4月に文藝春秋から刊行された。小説はほかに『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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