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個人情報保護法の施行で、あちこちの企業がエラいことになってるらしい。
ボスこと『日本の論点』の編集長、渡辺さんは浮かない顔だ。
「個人情報保護法のおかげで、わたしら編集者は原稿依頼が面倒になった。筆者の電話番号ひとつ調べるのもおおごとなんだ。とくに大学はガードが堅い」
ふん、いいことですよ。うちの姉が主婦湿疹で大学病院に行ったらですね、写真を撮られて勝手に論文に使われたらしくて泣いて帰ってきたんですが、そういう医者の横暴もこれからは通用しなくなるってことですね、ざまあみろ。
「ある企業では、社員の結婚なんかも社内報で明かしてはいけないってことになったらしいぞ。個人情報だからって」
アホらしい話だけどいいんじゃないですか。わたしがこないだ取材に行った企業でも、
「名刺を机の上に置いてはいけない。かならず引き出しにしまうこと」
という規則ができたんですって。名刺は個人情報だからって。
わたしゃ個人情報保護法には賛成です。これからは枕を高くして眠れますよ。だって、住民票の閲覧ができなくなるんでしょ?
当然そうだと思ってボスに尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。
「いや、できるよ。あいかわらず」
ええ? なんで。
「だってそれは、個人情報保護法とまったく関係ないもん」
マジですか? 冗談でしょう? それこそ、一番、保護してほしい部分だったのに!
「大丈夫。いまでも、住民票の閲覧は、誰にだってできます」
できますって、勘弁してくださいよ、なんでなんですか。
あのお馬鹿な制度のおかげで、どれだけこちらは困ってきたか。
話せば長いことながら、わたしは若い頃、ほとんど夜逃げ同然に引越しをしたことがあるのである。
別に借金取りに追われていたわけではない。
理由はなさけないことで、ネット上のトラブルなんである。詳しくはトラブルを起こした張本人に可哀想だから明かさないが、わたしは引越しをするにあたって、「夜逃げ」するときの常識を守って、「住民票の移動」を行なわなかった。法律違反を犯してもそれを貫いたのは、簡単な話で、
「移動した先の住所を知られたくない人間がいた」
からである。苦い記憶を少しだけ話せば、ネットで知り合って友人になったヤツに完全な妄想で逆恨みされて、
「おまえ次に刺す」
みたいな脅迫状を受け取ったからである。しかもご丁寧なことに、それは留置所だか刑務所だか知らないが、検閲済みのしるしに、桜の紋の判子が押してあった(よくもまあ、検閲を免れたもんだ。七不思議のひとつである)。そのころ友人は、妄想で無関係な人を刺して檻のあるところにいたので、もらった手紙はあまり洒落にならなかった。
いまは、まあ、だいぶ生きたし、いい年になったので、
「どうしても刺すっていうんなら、刺しにきてもいいけどねえ」
という程度にまったりしてるが、若い頃はやっぱり、
「なんでこんなところで死なねばならん!」
と、泣きたくなったりしたもんである。
「まあな、そういうこともあるだろうな。ちなみに住民票の閲覧では事件も起きている。こないだ、役所の住民基本台帳で母子家庭を探し出して、留守番中の女の子を暴行した男が逮捕された。名古屋のほうで起きた事件だ。どうしてそんなことになったのか。住民基本台帳に載っている、住所・氏名・生年月日・性別の四つの情報は、だれでも閲覧できることになっているからだ。この犯人は、そうやって母子家庭の情報を20〜30件集めて、母親がいない隙に訪ねていって暴行したわけだ」
だからやめろっていってるのに! っていうか、住民票の開示をやめてくれるのが、個人情報保護法じゃないの? なんでそこんとこに穴があいてんですか。
「住民基本台帳法がそう決めているからだ。住基データは、自治行政のための基礎であって、住民の利便と自治体の行政のために活用されるものなら、何人にも公開されるのが原則なのだ。今度施行された個人情報保護法には、それをくつがえす力がないんだな」
それじゃ意味ないじゃないですか! 利便どころか、害毒になってるよ。
「しかし、決まりは決まりだから。ダイレクトメール出すとか、アンケート調査とか、請求理由がプライバシーの侵害や差別につながるものじゃなければ、役所の窓口は住民票の交付とか閲覧を拒否できない。しかも、まずいのは、住民基本台帳には大量閲覧制度というのがあって、特定個人の住民票ではなく、台帳そのものを閲覧することができる。これを見ると、独り暮らしの人とか、母子家庭だとか、ある程度の家族構成がわかる。名古屋の犯人は、これでピックアップしたらしい」
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