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大昔、「伊勢湾台風」という巨大台風が日本に上陸して、愛知あたりでそりゃいっぱい人が死んだらしい。いま調べてみたら、昭和34年9月26日に上陸、死者5000人とある。この日付をみて、
「やっぱりそうだったのかー!」
とうなだれているのは、だれあろう、わたしだ。
現在、日本では4組に1組の夫婦はできちゃった婚で結ばれるらしい。
しかしできちゃった婚などというものは昔からあったのだと、この日付が証明してくれている。わたしには昭和34年の9月26日の夜に起こった出来事が、不愉快になるほどリアルに想像ができるんで気分悪い。
昭和30年代、わたしの母親という人は、浅草で兄、わたしには叔父にあたる人が経営していたすし屋の手伝いをしていた。このすし屋は、長兄の会社が大きくなるにつれて叔父を重役に迎えてしまったので店をたたんでしまい、いまは存在しないんだが、とにかくそこに客として来ていたのが、入谷に住んでいた父だったのだ。
一度、試しに浅草から入谷まで歩いてみたことがある。
近かった。
そんなことを検証してどうするっ、て思うんだけど、自分のルーツを探るというのは人間のサガみたいなもんらしい。ついでに言うと母がぽろりと漏らした言葉で忘れられないのが、
「最初の日、お父さんは、お店に、とっても綺麗な“おかま”さんを連れてやってきた」
という話である。父はいったい、なにをやっていたんだ? 考えると頭痛がしてくる。
さてこのふたり、店の馴染み客と店員というところから関係がスタートしたわけだが、転機が訪れたのは、伊勢湾台風の夜だったという。その夜、首都圏も暴風雨で荒れ狂った。たまにこういう日の夜にわざわざ用水路を見に行ってお亡くなりになる爺さまがいるが、わたしの両親は巨大台風に大喜び、
「もっと降れ、もっと吹け」
といって暴風雨のなかを歩き回り、浸水したタクシーに乗って2人でおおはしゃぎ、
「お互い、なんかチョー、気があうかも!」
と思い込んだらしい。
それから10カ月後、なぜか姉が誕生する。
これ以上はあまり喋らなくても、今回のタイトルからもそれとなくくみとっていただけるだろう。っていうか、くみとってくれ! くみとってください。頼みます。わたし、我が両親がどれほどアホかなんて、いまさらわざわざ再認識したくないんです。
しかしこういう非常時に、興奮状態で判断したことほど当てにならないものはない。
わたしが物心つくころには、我が両親はすでに、ごっつい仲が悪かった。子どもの頃に流行していたテレビ番組に「巨人の星」というのがあって、星一徹って人がそこで「ちゃぶ台返し」をする。だからわたしは、原作者の梶原一騎のかなり熱心なファンであったにもかかわらず、(小学生のときにはジャンプで連載されていた「格闘士ロ−マの星」まで読んだ。そういえば、この人、なんとかの星ってタイトルが好きっスねえ)この話は大嫌いなのである。うちの喧嘩も同じで、
「あ、くるぞ、くるぞ」
と思っているとちゃぶ台がひっくり返るんである。食い物めちゃめちゃ。皿はこなごな。毎日、伊勢湾台風が家のなかで荒れ狂っているような日々であった。おかげで上京してひとりでファーストキッチンでハンバーガーを食べたとき、
「家族が同席しない食事というのは、こんなにもうまいものか!」
と、目が醒める思いであった。この影響から、いまだに外食というのが基本的に好きである。しかも、かならずお一人様で食うこと。胃がもうね、のびのびする感じですよ、これだ、これ、と思った。
そんでこの台風夫婦がどうなったかっていうと、わたしが大学に入った直後ぐらいに、まだ築十年の家があったのにもかかわらず、老後の家とかいって馬鹿でかい家をたてた。ここらへんで、すでにもう姉までも頭おかしくなっていたんだと思うんだけど、この馬鹿でかい家には、
「父と喧嘩になったときの脱出経路」
まで設計段階で計算に入れられていた。
わたしは家の建築そのものに反対した。だってこれから稼ぎが少なくなるっていうのに、老後の資金を使い果たしてどうすんだと思ったので。しかし台風夫婦は「先のことを考える」ってことができない体質らしくて、勢いで馬鹿でかい家をおったてちまった。そのくせしてその家に住んだかというと、2カ月ぐらいしか住まずに別居しちまった。
わたしが子どもだったころはさんざ「お前たちのためにお父さんとお母さんは一緒にいるのよ」って呪いのように言い聞かせていたくせして、結局、2人のあいだの調整役をやっていた子がいなくなったとたんに夫婦関係を破綻させたんである。この野郎、殴ってやろうかと思ったのは、あれほど「おまえたち2人のために」とかおためごかしをいってたくせに、わたしの結婚式という日に、
「お互いの顔をみたくないから式に出たくない!」
と騒ぎ出したからである。わたしが女子でよかったなーと思うのは、こういう人生を送ったあげく引きこもりになった子が「家庭内暴力」っちゅーのをやるんじゃないかと考えちゃうからだ。ま、ふざけんなってことで式には出てもらった。ついでにいうと、実はボスが格好をつけるために仲人役みたいな真似事をしてくれたので、それなりに式としての体裁が整ったんだが。
あー、思い出したら、できちゃった婚の人間全員に、
「おまえら、そこへ直れ! これから精神注入棒でぶっ叩いてくれる!」
っていいたくなってきました。とくに親とか実の親とか、いまから角海老ジムに入ってパンチの特訓を受けて、ボコスコ粛清してやりたくなってきたあ!
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