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「やめなさいよ、式であなたがたの親御さんを見たけどさ、もういい年じゃないの。いま幾つなの?」
はあ。父に関しては72歳でしたかね?
「還暦どころか古稀の祝いを過ぎた老人を殴ったら、君、そのまんま寝たきり老人を抱え込むことになるぞ? 骨折とかがおもな原因なんだよ、ありゃあ。腹が立つならわたしに喋りなさい。酒でも飲んで。聞いてあげるからさ」
わたしとボスは他人同士ですけど、よほどボスのほうが親らしいことをやってくれるっていうのはどういうことですか? ええ、飲みますよ、これが飲まずにいられっか。
「わかったからそろそろ話を聞きたまえ。さきほどいったように、現在、4組に1組はできちゃった婚で結婚するそうだ。で、知ってるか、最近は“できちゃった婚”をだな、“おめでた婚”とか“さずかり婚”って言い換えようとしてるらしい。言葉を変えることで負のイメージを積極的なイメージに変えれば、社会にも認知されるってえわけだ。ブライダル業界がそういう方向に引っ張っていってるらしいよ。あるブライダル情報誌じゃ“ダブルハッピーウェディング”だとよ。笑っちゃったよ」
またですか! あの手の会社はなんとかならんのですか。
仕事貰ったことあるから悪くはいいたくないけど、でももう二度と仕事をもらえそうにないから言っちゃうけど、なんかもう、ロクでもないですよ、ああいうとこ。ボスが教えてくれた“コンビニ敬語”もあのへん発祥なんでしょう? 日本の文化に対して、悪事ばっかり働いていないか。
「なあ。なにが“さずかり婚”だ。自分たちで勝手に作っておいて。あとな、公募ガイドという雑誌があるんだけど、できちゃった婚に変る言葉を募集しますというのをやったら、“ママリッジ”という言葉が出てきたらしい。“ママ”と“マリッジ”で“ママリッジ”。これに目をつけて、そういう人たちの婚礼手続きを代行する専門サイトができたらしいんだよな。それを“ママリッジネット”っていうんだよな」
わたしはできちゃった婚に基本的にはムカついてます。
でもまあ、昨今のですね、きちんと家族計画してから子どもを作るようなまっとうな人たちというのは、老後の年金の問題とかいろいろリスクを計算するから、結論として一人っ子になったりして、それなりに裕福じゃないと、兄弟何人もっていうのは厳しいじゃないですか。ですからここはですね、うっかり者でうちの親みたいな台風馬鹿たちが、出生率をあげてくれているのを期待するべきなんじゃないかと。
「それについてはわたしは異論があって、社会としてはそうかもしれないが、離婚率は高くなるんじゃないかと思う。このへん、だれか調査してきちっとした結果を出してくれたらいいと思うんだが。それに、生まれた子どもが苛められる可能性がある。なぜかというと、やっぱねえ、彼らができちゃった婚だと言いたいのは、子どもができたからしかたないんだけど、あくまでも恋愛の結果だと思いたいからそういう言葉を欲しがっているだけであって、本当のことをいうと、子供ができなかったら結婚しなかったということだ。できちゃったから結婚しちゃったわけだよ。
子どもというのは、もともとふたりの関係のなかに前提としてなかったんだ。それがものすごく問題だと思うわけ。結婚というのはふたりで子どもを作ろうとか、自分たちの愛の結晶として作ろうとか、そのときの感情はそうだと思うんだよね。でも、できちゃった婚の場合は、全部じゃないだろうけど、セックスの結果としてできたんじゃないの? 子どもを2人のあいだで作ろうという意思がもともとないとすれば、子どもがかわいそうだと思うわけよ。どこかに子どもを忌避している気持ちがあるんじゃないのか。だからできちゃった婚とかいうのは、古いタイプのおじさんからいえば、できちゃった婚と軽く言い放つところに、じつはもっと深刻な問題が横たわっているんじゃないかと思うんですけど。どうかね。たとえば、まあ、言いにくいけど、君の実家なんかはもろ、そんな感じだよな?」
ええ、そうですよ。伊勢湾台風が上陸したからって子ども作って。家のなかまでいつでも暴風雨警報で。倒木、高波、土砂災害。いまねえ、PTSDっちゅーので賠償請求したりすんのが流行ってますけど、親に金があれば請求してやりたいくらいですよ! この夫婦ときたらまったく考え無しなことばっかりやりやがるんですから。この「日本の論点PLUS」で貰ってる原稿代、じつはみんなわたしをスルーして親への送金に変わってんです。ちっくしょーと思うと、ついフィリピンパブでタガログ語の歌をうたっちゃうんです。彼女たち、みんな背中に家族背負ってますからね。なんか和むんですよ。
でも、わたしはですね、少子化の対策になるのなら、できちゃった婚もいいじゃないかと思うことにします。本当は精神注入棒で、
「勢いでなんかやんの止めろ! その首にのってるのは本当に脳みそ入ってんのか。おまえら脊髄反射で生きてるんじゃねーのか、おら、どうなんだ!」
っ叩いて歩いてやりたいと思うんですけど、それが少子化の役に立つというのなら、唇かんで耐えましょう!
「いや、わたしはそうじゃないな。できちゃった婚がなくなって、それで少子化になったったとしても、それはそれでいいよ。それで国が困ったとしてもしょうがないことで、あえて少子化対策の材料になるとか、そういうあさましい話に持っていくこと自体が、子どもが可哀想じゃないかと思う。ブライダル情報誌がこういうことに無神経なのもいやだね。子どもが欲しいとか欲しくないとかじゃなくて、できちゃったからいいじゃないかと。子ども生まれたら、それは社会的な存在になることは事実。でもそれを覚悟しながら子どもを産むという決心がいることだと思うけどね。そういうことをまったく抜きにして考えるというのはいかがなものかね。ちなみにアメリカのほうでは“できちゃった婚”を“ショットガンウェディング”というらしい。B級西部劇を見てるとよく出てくるシーンなんだけどさ、娘の父親が男に『よくも貴様、うちの娘をハラましてくれたな』とショットガンもって迫るわけ。あちらは元々はピューリタンだから、貞操に関しては本来厳しいんだよね。堕胎も基本的には駄目だしな。でもこっちのほうが正しいな」
なるほど、ショットガンウェディングねえ。そういやフィリピンではよく起こることだそうですよ、銃を持って娘をやっちゃった男を追いかけるっていう事件は。あそこもクリスチャンの国ですから。なんてうなずいているうちにふと思い出したのが、「日本は宗教が行動の規範にならないかわりに、“恥”の文化が規範となってきた」というアレである。日本ではひとつの規格から外れることを“恥”として人を見えない真綿のようなもので縛ってきたように思えて、わたしは嫌いな文化なのだが、この恥の文化も続いてきたのには理由があって、“恥”と呼ばれるような行動に、あるなんらかの“浅はかさ”をたしなめているのだ、と考えられなくもない。
ついでに言えば、できちゃった婚に関するイメージを劇的に変えたのは「安室」以降だったと、たぶんみんな感じてるとこなんじゃないかと思うけど、どうだよ、あのカップル。結局、いま離婚してんじゃん。
やはり我々日本人は、もう一度、“恥”という行動規範の真の意味を、考えてみる必要があるのかもしれないっスね。そこには過去からの積み重ねであみだされた英知が、あったりするかもしれないですよ。
そんなところで、今週はさようなら。来週また、お会いしましょう。
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