 |
まあそんなわけでゴミ問題についてもなんとなく常に関心があって、東京都の沖合いに、一般の人間は入ることのできない最終処分場があるのだが、そこの見学会があると聞けば嬉々として申し込んで参加したりとか、してる。
で、そういう過程で、たしかあれは焼却炉の設計だか製造だかに携わっている人の口から直接だったと思うんだけど、
「ダイオキシンを発生させないため高温で焼くというのは、言うは簡単だけどなかなか困難である。たとえば、燃えているものの横にスイカの皮がどーんと在っただけで、ぐんと焼却温度が低くなる」
という話を聞いたときに、意識のなかで、
「生ゴミの処理」
というのがクローズアップされてきた。で、上勝町の町長の文章を拝読したときも、34種類の分別のほうに目を奪われず、このところが目を引いた。
「まず、焼却するには最も効率の悪い生ゴミ対策として、コンポストと生ゴミ処理機を導入しました。(中略)これで生ゴミをほぼ100%堆肥化することができました」
やっぱりな、ゴミ問題に取り組もうと思ったら、まず生ゴミの処理なのだ。ここ、見落としがちだが、すごく重要であるとわたしは思う。
スイカの皮。そもそも燃やさなくていいものをコストをかけて燃やし、しかもダイオキシンを発生させているんだからどうしようもない。しかもボスによれば、こういったものもゴミとして扱われるおかげで、1日あたり日本人ひとりが出すゴミの量ってなんと「1s強」だというんだよね。なんかゾッとする話である。
なんのゴミをもってやっかいとするかは、環境への影響をどう見るかによって変わってくるところかもしれないが、生ゴミの問題というのは、
「コンポストによって堆肥化すれば、それは資産にすらなる」
という美しい解決方法があるにもかかわらず、あいかわらず、とくに首都圏などの大都市圏においてだと思うが、まったく活用されず、焼却する際の足手まといになっているんだから、なんでだ? と叫びたくなる現状である。まず、生ゴミの堆肥化。このステップを踏まずして、究極のごみゼロ社会にはたどり着けない。
そこで冒頭に戻るわけだ。
わたしはこの時期、ベランダで堆肥を作ることはできないのかと頭を悩ませていたわけである。
田舎だったら、庭に大穴を掘って生ゴミを捨てて土をかぶせるという伝統的な手法がとれるわけだが(地元ではよく見かけた光景だな)、そこは仮にも都会のマンション。無理である。また、臭いの問題にも敏感にならないと、管理組合から苦情が来ること間違いなしだ。
すなわち、密閉容器のなかにおける、嫌気性発酵を試みる。
本来、よい堆肥を作ろうと思ったら、「切り替えし」といって、年がらねんじゅう堆肥を攪拌し、あいだに酸素をすきこんでいってやらないといかんわけだが、ここは多少の堆肥の質は目をつぶらねばならない。そこでわたしは、夫がたまたま沖縄のほうに出張に行ったときに人からEM菌をもらってきたのを利用して、微妙に嫌だったんだが、まあ他に嫌気性発酵できるという菌も知らないし(なぜ嫌かというと、EM菌は沖縄琉球大学の比嘉博士が売り込んでいる菌で、まあ、EM菌自体は別に悪い菌じゃないし、生ゴミを堆肥に発酵させるための菌としてちゃんと効果は認めるのだが、比嘉博士はいったいどうしちゃったのか、EM菌が水質浄化、土壌改良に効果があるだけでなく、体力増進、あげくの果てに校内暴力にまで効果があるって言い出しちゃったんだよね。あいたたたた。で、わたしは有機農業やってる人でEM菌使っているっていわれると、ドン引きするわけだ。“波動”とか訳わからんこと言い出すし)、とりあえずやってみるか状態で生ゴミにEM菌をぶっかけて発酵を始めた。
効果はなかなか素晴らしかった。
翌日には温泉ぐらいの温度まで発酵熱が高まり、いい感じに発酵が立ち上がった。よしよしと思った。が、しかし。数日後、まったく発酵熱がなくなったんである。生ゴミはまだ形としてしっかり残っていて、ここで発酵が止まっては困るのに。
わたしは内心思った。
やっぱり、C/N比か……。
土壌学の基礎中の基礎なんだが、C/N比っていうのがあって、すなわち、堆肥を作るときは炭素と窒素の割合がいい感じにバランスよく存在しないと、発酵がちゃんと進まないよっていう話である。だから本職の農家の人が堆肥を作るときは、蓄糞をもらってくるわけだ。窒素、必要だからね。
しかしここは都内のベランダ。
牛も豚も鶏も、ましてや一番良い蓄糞ともてはやされる馬もいない。
どうしたらいいんだっ、と悩んだとき、わたしに天啓のようなひらめきが舞い降りた。
家畜ならここにもいる!
わたしだ、わたし。
なんて自分は頭がいいんだ。おもわず手を叩いて大喜びした。なんだ、簡単なことじゃないか、人糞使えば一発解決!
……おっとしまった、もともとはこの話、栃木県茂木町のごみ問題の取り組みから生まれた「美土里たい肥」システムについても語ろうと思って始めたんだけど、それにたどり着く前に行数が尽きてしまった。
しかたない。次週、ひらめきが舞い降りたそのとき、歴史は動いた、のかどうかの話はまあ適当にしておいて、さらにゴミ問題について語りたいと思う。
つづく
|
|

|