2006.02.02
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
これがリアル沖縄移住だ! 田舎暮らしを考える 
その2
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 父は、意気揚々と沖縄暮らしを始めた。しかしそこは男の一人暮らし、いきおい、外食がちになる。
 最初の愚痴は、 「糸満にはほとんど外食産業がない」
というところから始まった。沖縄本島の南部は、かつての激戦地として知られているが、いまはサトウキビ畑がつらなる半農半漁の村が多い。もう少し突っ込んで言えば、沖縄の最大の産業は観光というより「公共事業」かもしれないが、まあ、とにかく、風景として目に入ってくるのは、サトウキビ畑と青い海だ。
 湘南のほうで暮らしていたこともある父は、朝食兼昼食は小奇麗な喫茶店のモーニングサービスで済ますのを日課にしていた。首都圏近郊で暮らした人間には当たり前の風景である、喫茶店でモーニングという文化。これがひとたび地方へと行くと、いきなり困難になるという想像は、たぶん都会で暮らしなれた人間にはピンとこないだろう。
 沖縄にも無論、洒落た喫茶店はある。たとえば南部だと、玉城村の「浜辺の茶屋」や知念村の「カフェくるくま」などは、本土では絶対味わえない魅力の喫茶店だ。
 たとえば「浜辺の茶屋」は、文字通り浜辺に建っていて、海にむかって大きな窓が開け放たれ、心地よい潮風を受けながらお茶を楽しめる。まるで窓が額縁となった絵画を鑑賞するようだ。時が過ぎるのを忘れるほど美しい浜辺が眼下に広がるのを見ながら、ゆったりアイスコーヒーでも飲めば、“スローライフ”を夢見てしまって不思議はない。
 ただそういう店は本島のなかに点在しているわけで、首都圏のようにふらりと歩いていけるような、生活圏のなかにいくつも点在しているのとはわけが違う。そもそも、地方にはそういった外食産業を数多く支えていけるほどの人口がいないのだから、当然といえば当然なのだ。都心で暮らす我々がわざわざ地下鉄やバスを利用して隣町まで行って食事をしないのと同様に、地方には地方なりに車を利用して行く圏内というものが決まっていて、それはせいぜい自分の居住地を中心として半径4kmの円の内ぐらいに収まってくるものだ。それが生活というものである。しかし旅行先で興奮し、レンタカーで島を巡っているあいだは、この違いにはなかなか気づかない。
 糸満にも、本土以上に魅力のある喫茶店はある。とくに風光明媚なところに建っているわけではないが、嫌味でない程度にアンティーク調の家具をゆったりと配した、コーヒー豆の焙煎の香りが心地よい「さくらや」などは、父も一度行っただけで気に入った。先にあげた「浜辺の茶屋」も「カフェくるくま」も同様に気に入ったのだが、日常というのは、気に入った喫茶店があるからといって、10kmも先まで車で飛ばして朝ごはんを食べにいくわけにはいかない。父は連日、「さくらや」に通うことになったが、半年もすると、
「おんなしもんばかりでは辛い」
と洩らすようになった。どんなに良い店だとしても、半年も連日通えばどうなるかは想像できるだろう。首都圏に住む人間ならば、あちらこちらと物色しながら行きつけの店を持つのも可能だが、選択肢が「ない」状態というのは、便利な生活に一度馴染んだ人間には切ないものがある。
「さくらや」に飽きるころには、父は沖縄料理にもめげはじめていた。それなら自炊すればいいだろう。そう考えるかもしれないが、本土の生鮮食品と島の生鮮食品は種類からして違う。本土と同じ味を求めると、安上がりなはずの沖縄生活が、がぜん、金のかかるものへと早代わりするのである。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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