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これがリアル沖縄移住だ! 田舎暮らしを考える その2
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こうした父の沖縄移住事情をつぶさに見てきたわたしは『日本の論点 2005』に高橋秀実氏が寄稿した「豊かな自然、純朴な人情――定年帰農に要注意。甘い幻想は捨てなさい」(に書かれていることに、大いにうなずいてしまうのだ。高橋氏は、定年後に田舎の分譲地で第二の人生を送り始めたCさんの例を挙げ、
なるべく人里離れた場所を、とこの家を選んだCさんは、それが災いして夜中に救急車を呼んだ折、「暗くて道がわからないので行けない」と断られてしまった。星がキレイな自然の中での暮らしは、孤独になると単なる「不便な暮らし」になってしまうのである。
と述べているが、然り、然り、である。わたしの父も結局、去年の11月に肝臓癌が発見されて自分ひとりで対処できなくなり、それを契機に沖縄を離れ、わたしの住む場所からそう遠くない癌研有明病院に急遽入院したのだが、これがもし沖縄で病を抱えて一人でいたら、と考えるとゾッとする。
都会の便利さというのは、人的サービスが行き届いているということだ。都会で病を得ても、完全看護の病院を選べばそう不自由しないが、地方だとなかなか行き届く医療のサービスは受けにくい。地方に住む人間のほうが血族間の結びつきが強いと一般に言われるのは、人間の温かさとか純朴さとか、そういったことよりも、実質的に、相互援助がなければ生活が成り立たないという切実な事情があるからだ。
また、高橋氏が述べる、
自然は素晴らしい――という感慨は生活を離れて一年以内で飽きる。自然は遠きにありて想ふものなのである。
も、同感である。父が沖縄を離れる間際になってつぶやいた一言に、それは集約されていた。
「沖縄の青い空、青い海、たしかに素晴らしいよ。だがな、そんなものばっかり見てたら、日射病になっちゃうんだよ!」
都会で暮らしていてその便利さに慣れ親しんだ人間が、ふらりと旅行に行っただけで安易に「スローライフ」とかいっちゃう危険性を、わたしは父の一件からまざまざと見たように思う。血縁のない田舎で暮らすことの、不便を通り越した危険。最後に高橋氏の、
田舎はのんびりするために用意された場所ではない。そもそも人間は、自然や因習から解放され「のんびり」するために都会をつくったのだから。
の一言に激しく同意して、この話を終えようかと思う。定年帰農なんて、安易にすすめるもんじゃない。そもそも体力が衰えてきてどうしようかって頃になって、激しい肉体労働を志すなんて、本当にやばいよ、と体力あふれていたはずの学生のころ酪農家のお宅に住み込みで働いて、3日で脱走を真剣に考えたわたしとしては言っておきたいと思う。
ホント、自然も農業も、甘くないっスよ。
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