2006.04.06
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
報道されない癌治療 さらにその後 その2
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 さて前回の続き。
 かくして自殺するという隙を与えずに癌研に父を放り込んだ。オーケー、この勝負、貰った。あとはチョキチョキしてもらうだけ。
 さっくり、切ってもらいましょう。肝臓を。
 前回の母のときの経験があるので、わたしは落ち着いたものだった。癌なんて切ればいいんだ、切りゃあ。わたしは意気消沈している父の首根っこを捕まえるような気分で癌研に引っ立てていき、無事、入院させた。人間、90歳を超えて死ぬと、解剖してみればものすごい確率で癌がみつかるという。何パーセントだったかはちょっと記憶があやふやなんで、検索して調べたら、関西医大のWebサイトに、
「90歳になると前立腺のどこかに癌がある人は50%ぐらいと言われています」
と書いてあった。とりあえず前立腺に絞ってもこんな数字なんだから、高齢者が身体のどこかに癌を持っている確率というのは、やたらめったら高いらしいんである。癌が進行して死ぬまえに、老衰やらなにやらで死んだから、癌という病名で死ななかっただけ。高齢者にはそういう人がとっても多いと癌研のどこかで聞いた。父も70歳を過ぎている。なんせ第二次世界大戦のころから生きてるんだから、もはや歴史の証人のうちに入りつつある。それだけ長く生きてれば、人生のうち、一度や二度、癌を切ることぐらいあるさ。こちらとしてはその程度の受け止め方なのだが、父はこの世の終わりみたいな顔をしている。父の戦時中の話で、校庭で機銃掃射にあって、
「グラマンを操縦している飛行士と目があった」
というのがあるんだけど、その思い出を話すたびに、
「全然怖くなかったよ! もう、あの頃は日本国民全員がみーんな、どうせ死ぬんだと思ってたから」
と言い放っている男とは思えない弱りっぷりである。
 なんだかなあ、と思ったけど、まあ、気にしないことにした。とにかく癌研に放り込んでしまえばこっちのものである。なにせ癌研の窓は10センチぐらいしか開かないようにできている。屋上庭園も、登れない網が張ってあって、自殺できない。癌研に入れてしまえばこっちのもんだ! というのが、家族としてのわたしの気分である。
 さて癌研にて。
 癌研の病室は、男と女で分かれてる。わたしは母があちこちの病室に女友達を作るので(朝、廊下を歩いていて、暇そうな人をみつけてはおしゃべりに興じる)、病室のあちこちにお邪魔した。しかし男病室のほうは、縁がないのでよく知らなかった。
 わたしは父に付き添い、男の病室にいて、半日ほどで不思議なことに気がついた。
 男は、入院患者同士、まず、なにも喋らないのだ。
 女の病室というのは絶えず喋ってるものなのに。喋りすぎてお互いムッとして喧嘩に発展するほど、よく喋る。
「かしましい」
という言葉がぴったりくるほど、うるさい。喋る。絶えず喋る。
 ところが、男の病室は、
「……あーあ」
などという、つぶやきがどこからか聞こえてくるばかりで、だれも喋らない。
 男は黙って癌治療。
 なんかそんな雰囲気である。
 わたしは、癌になって、癌専門の病院に入るというのは、とてもいいことだと思っている。それは治療の結果が良いというだけではなくて、患者同士、お互いの経験を分かち合える点にある。母の治療に付き合っていて、そこに居ることだけで集団精神治療を受けているようなものだと、思った。
 男は、全然、喋らない。
 このときわたしは、
「へえー、男っていうのはこういう事態を迎えても、強いね! 精神が鍛えられているね。企業戦士だったからですかね?」
と無邪気に感心していた。
 母を入院させたときは、枕元にいるあいだじゅう、おしゃべりの相手をさせられるのが苦労であった。一方、父はわたしにおしゃべりの相手をさせるということもなく、黙って本とか読んでる。
 ちょっと意外であった。何がって、入院してからの父の落ち着きぶりが、である。
 母は不安から絶えず喋っていたんだけど、父は黙ってる。この場にきて覚悟が定まったのかな、と考えたりした。こりゃあ楽だ。と、この時点では思った。
 女性より、男性の看護のほうが、楽だったのか、そうなのか。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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