2006.04.13
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
報道されない癌治療 さらにその後 その3
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 いよいよ手術の日がやってきた。例によって、手術室には歩いて向かう。わたしが見送れるのは手術室の入り口までである。
「いってらっしゃーい、頑張って」
 父は、力なくうなずいた。なんとなく元気がない雰囲気だが、ここまで来れば、もう安心。手術室の自動ドアがしまり、猫背な父が見えなくなると、わたしは院内専用のPHSを持って院内のレストランへと向かった。癌研は、診察のときもそうなんだけど、受付をするとすぐに院内専用のPHSを手渡される。患者との連絡用だ。
「そろそろ診察です。診察室のそばに戻ってきてください」
みたいな感じの病院の指示が入る仕組みになってる。手術のときも同じで、患者の家族たちにはPHSが手渡され、手術が終わると、このPHSに連絡が来る仕掛けだ。大病院の手術といえば、その待ち時間の長さにメゲてしまうものだが、PHSを持っていれば、飯を食っててもいい、院内のレストランやコンビニで時間を潰してもいい。これ、なかなかいいシステムだと思う。
 まずはレストランでコーヒーを飲み、目を醒まし、それから家族控え室でノートパソコンを取り出してドカドカと仕事をした。手術にかかる所要時間は五時間。まあまあ、長い。そのうちに母と姉がやってきた。再びレストランにむかい、昼食を取りながら気楽におしゃべりに興じた。
「お父さんはよかったね、比較的初期のうちに癌がみつかって」
「そうだね、あの人はラッキーな人だよ。自覚症状がないから、あのまんまほっといたら大変なことになっていた可能性もあるのに。いや、本当にめでたい」
「ちょっと残念なのは、部位がやや複雑なところにあるから、ラジオ波で焼けなかったことかな」
「まあいいじゃない、それは。切れるんだから」
 ラジオ波というのは、肝癌に針みたいのを刺して、「ラジオ波」なるもので肝癌を焼いてしまうという手法である。なんとこれだと、一泊二日の入院ですんでしまう。焼いてもらって一泊病院に泊まったら、翌日には痛み止めを貰って自宅に戻れる。やってもらった人の手記を読んだことがあるのだが、
「怖い肝癌もラジオ波でみるみるうちに!」
って感じで、手術とかがない分、身体への負担がもの凄く軽度なものらしい。技術的にはまだ発展途上ではあるらしいけど、体力のない高齢の患者にはいい療法なんだそうだ。ただ、すっぱり、きっかり、より確実を期した治療なら、いまも切除ではあるらしいのだが。とにかくまあ、一個ぐらいの小さな肝癌は、いまやそんなに恐ろしい存在ではないってことだ。
 午後になり、眠くなってきたころ、PHSが鳴った。終わった、さあ、術後の説明である。3人で意気揚々と説明室に向かう。はたしてドアのむこうでは、銀色のトレイのうえに切除した肝臓を載せた執刀医が待っていた。
 うんまそうな、レバ刺し。
 今夜レバ刺しを食う予定の人には申し訳ないが、これが率直な感想である。これが人の肝臓だとわかっていなかったら、そんなふうに考えたかもしれない、いい肝の色だ。ただ、普通のレバ刺しとちょっと違うところは、肝のなかに、まるでウズラの卵を固ゆでにした黄身のような部分があることだ。これが癌か。なるほどねえ。
「きれいさっぱり、取れました。典型的な、単発性肝癌です」
 たしかこんなふうに言われたと思う。毎度そうなんだけど、癌研の執刀医たちは、癌を切除したとき、なんか自慢げだったりする。よくスポーツ新聞なんかの釣りコーナーに、
「体長50センチの黒鯛を釣り上げた、なんとか市在住、会社員のだれそれさん」
みたいなキャプションとともに、釣れた魚を自慢げにぶらさげてニンマリ笑ってる釣りキチの写真が載ってるけど、雰囲気としてはまさにアレ。執刀医は、切除した父の肝臓を嬉々としてつつきまわしていた(なんでつっ突いて喜ぶのかは、よくわからない)。
 わたしと姉は二度目なので、なんだかこういう光景に慣れてしまっているのだが、母は自分の切除した臓器を見ているわけではないから、気分が悪くなったらしい。レバーはとうぶん食べたくない、執刀医の先生はなにか感覚が麻痺してるわよ、あーヤダ、気持ち悪いわねえ。そう言っていた。
 年間100例ぐらい手術している人間にすれば、いちいち気味悪がってもいられないと思うのだが、まあそれはどうでもいい。かくして無事に手術も終了。一時間ほど待って、父が麻酔から醒めるのを待ち、ICUにむかった。
「お父さん、手術成功、おめでとう!」
 3人で口々に祝いの言葉を述べる。すると父はICUじゅうに響き渡るような声で、
「うははははは、そうか! 助かったのか。いやー、よかった。手術しながらそのまんまお陀仏になるかと思ってた。助かったのか、そうかそうか!」
と、やけにハイに笑っている。
 このときに、ちょっとだけ、ん、おかしいぞ、目がやけにギラギラ光っている、とは思わなくもなかった。が、これも術後ということでちょっと興奮してるんだと思って、あまり気にしないことにした。
 おめでとう、おめでとう、と父の手をとり、家族みんなで喜んでると、父は、様子を見に来た看護婦さんに目をとめ、
「おお、この看護婦さんも、綺麗だな!」
と、声を張り上げた。
 父というのはなにかとお騒がせな男ではあるが、あまり女性の容姿であるとか、そういうのにコメントするようなことはないタイプだ。なのに父は、興奮したような顔で、雄たけびをあげる。
「ここの看護婦さんは、みーんな、綺麗だ。すっごく、綺麗だ。いやあ、綺麗な人、ばっかしだ!」
 このへんで、姉とわたしと母が顔を見合わせた。
「なんかお父さん、変じゃね?」
 口には出さなかったが、みな、そう思っていたらしい。わたしも妙な感じは受けた。でも、
生死の境を漂うような(あくまで、主観である)経験をしたあとは、なにもかもがきらめいて見えるというしな、と自分を納得させ、まあ、とにかくめでたいことだと寿いだ。そして父を癌研に残し、みなで祝杯をあげにいった。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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