2006.04.20
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第 回
報道されない癌治療 さらにその後 その4
全2ページ
 父との格闘は何時間も続いた。チューブを外そうとする父、それを押さえ込むわたし。トイレに行きたくなってきたんだけど、行けない。かたときも目を離せない。
 手を押さえ込まれて、父が怒鳴る。
「本当に、しつこい人だね!」
 父はわたしが誰なのか、いまひとつわかっていないときがあるようだった。
「あー、しつこいよ。お父さんを助けようと思ってるから、しつこいですよ」
 心の底から怒鳴り返すと、一瞬、微妙におとなしくなる。けれどそれもつかの間、またぞろ、
「ウギギギギギ!」
と騒ぎながら、あらゆる生命維持装置を引き抜いてしまおうとする。背骨に入っている硬膜外麻酔もそうだが、恐ろしいのは、首の大静脈みたいな部分に入ってる点滴である。肝臓を切除したあとは、かなり高栄養な点滴を入れるとかで、通常のように腕とかに刺さない。首である。これを外そうとするときは、本当に肝を冷やした。適切な処置をしなければ、大出血である。
 看護婦が嫌そうに様子を見に来たタイミングを狙って、
「すいません、トイレにいってきます、様子を見ててください」
と抜け出した。癌研側の「ご家族にずっと見ていて欲しい」という態度がありありと伝わってきたが、こちとらだって人間だ。最低、トイレぐらいは行かせてもらいたい。トイレットペーパーを高速でまきとりながら舌打ちをした。畜生、全然タバコが吸えない。禁断症状がキツい。おまけに押さえ込むのによほど背筋を使ったらしく、背中全体が痛い。今朝からなんにも食べ物をとってない。格闘すること5時間、体力の限界を迎えていた。なのに、まだ夕方の7時前だ。
 この闘いは、いつまで続くのか?
 ICUに戻って看護婦に尋ねる。
「せん妄っていうのは、どれくらいでおさまるものですか?」
「それは……なんともいえません」
「最大でどれくらいとか、平均でどれくらいとか、データはないのですか」
「それはもう、患者さん個々でまったく違いますので。ただ、わたしの知る限りですと、最長で3カ月という人が、癌研にはいました」
「さ、3カ月!」
 緊張と責任感でなんとか平静を保っていたわたしだったが、崩れ落ちそうになるのを感じた。看護婦がおずおずと、しかもたたみかけるように頼んでくる。
「今夜は、病院のほうで付き添い、してくださいますよね?」
 え、それって……夜通し、この闘いは続くのか、もしかして。
 駄目だ、死ぬ。どっかのタイミングで、だれか助けを呼びにいかなくては。
 すると、そのときだった。
 ちょっと目を離していたスキに、父が、がばっと身体を起こし、ひらりとベッドの柵を飛び越えたのである。あらゆる生命維持装置をつけたまま。そして、目にもとまらぬスピードで、どこかへ向かって走り出した。その身のこなしたるや、昔、ジャニーズ系のグループが、ローラースケートを履いてジャンプしたりダッシュしたりしていたが、まさにそれ。ジャンプ、俺たち時間が、ダッシュ、少ししかないよ。すげえ、怪力、怪パワー!
 って感心してる場合じゃない、点滴台が倒れるーっ。
 あわてた看護婦さんが父にタックルを喰らわせた。
「だめー!」
 わたしは点滴台を支えた。
「寝て、お父さん、横になって安静に。起きちゃ駄目」
「どうして立っちゃ駄目なんだ、トイレに行かなきゃならんだろう」
「カテーテルが入ってるから、トイレはいかなくても大丈夫」
「おまえのいってることは全然わからん。トイレに、行くんだよ!」
「行かなくていい」
 言い争っていると、父は、さっきタックルを食らわせてくれた看護婦を凝視して、
「この人はひどいよ。いきなり俺を突き飛ばした。俺がなにをしたっていうんだ」
と、憤慨している。



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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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