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そうこうしているうちに、医師の回診があって、医師が父に語りかけた。
「山崎さーん、ここがどこかわかりますか?」
すると、さっきまでの態度はどこへいったのか、父はすっかり大人しい患者に戻り、ニコニコと笑いながら答えた。
「はい、先生。癌研、有明病院、です」
医師がスタッフたちとささやきあう。
「なんだ、わかってるじゃないですか。大丈夫そうですね」
いや、先生、わかってないんです。いまだけ、ちょっと頭はクリアになってるみたいだけど。
しかしこのタイミングを逃してはならぬ。
「先生、お願いが」
「なんでしょう」
「父に睡眠薬を処方してもらいたいんです。サイレースとアモバンで、寝倒してしまってください。わたしはもう、これ以上、もちません」
「うーん、それは……」
「先生、わたし本当に、困ってるんです!」
「肝臓を切ってますからねえ。過剰に負担をかけると肝不全の恐れがあるし。それに……患者さんのせん妄を、もっとひどくする恐れがありますよ」
「負担の少ない薬はないですか」
「どうしてもっていうのなら、まあ、使ってもいいですけど。こういうときはね、脳が異様に興奮してますからね、普通だったら寝てしまう薬を使っても、効かない。患者さん、たぶん一晩中起きてますよ」
医師は恐ろしげな予言ばかりを告げる。しかし医師は、
「それじゃま、消灯のころにサイレースの点滴でも入れることにしますか」
と指示を出して帰っていった。よし、消灯まであと2時間。2時間の辛抱だ。
医師が出て行ったとたん、父はまたもや、
「バナナの皮が、背中についてるよー。とってくれー」
と始めた。さっきの正気のフリはなんだったのか、って感じである。しかしそれもあと2時間。とにかく父をベッドに寝せて、生命維持装置がとれないように押さえつけた。
かくして格闘すること2時間、サイレースの点滴がやってきた。よし、寝てくれ、寝てしまえ。そのまんま、よーく寝て、ついでに目が覚めたときは“せん妄”が終わっていてくれ。
点滴が落ちること15分、父に、微妙な変化があらわれた。
目を、カッと見開きながら、1分ほど、すうすうと寝息をたてている。
どうも、目を開けたまま、眠っているようである。しかし1分ちょっと経過すると、きょろきょろするように頭を動かし、ガバッと身体を起こしたかと思うと、生命維持装置をむんずと掴んで引きちぎろうとする。
「だーめー!」
あとは毎度の格闘である。どうなってんだ、これ。このあと父は、1分ほど目をカッと見開いたまま寝息をたてては5分暴れるというのを、エンドレスで繰り返すことになる。
わたしは看護師に、ちょっとのあいだだからといって父の監視を頼み、病院の外に走り出た。そして半泣きで夫の携帯に連絡を入れた。
「もしもし、いま、どこにいるのーっ」
「最終便で羽田に帰ってきたとこ。いやあ、疲れたあ」
夫は、出張で宮崎から羽田空港に帰ってきたところだった。
「そのままタクシー拾って、湾岸走って13号地で降りて、癌研まで来て! お願い。父が、大変なの」
わたしのただならぬ様子に、夫は緊張した声で、
「わかった、すぐ行く。ちょっと待ってて」
と答えた。
これがこのあと続く、3週間の格闘の始まりだとは、まだこの時点では思ってもみなかった。
(この話、来週、ホントのホントにおしまいです。)
つづく
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